笹間渡の彼岸桜 大井川 C11 312
DE10 525 「美濃太田区」 20系
EF60 38・39 広島区
ブルトレ 「彗星」 EF65PF
保津峡 キハ58+キハ47
80年代半ばの山陰京都口や福知山線は、キハ58は急行、キハ47は普通・快速と、極めて明確に運用が分けられていたんですが、こんなん、

出て来ました。84年11月、保津峡-嵯峨。
キハ58+キハ47×8という、なんだか妙チクリンな組成で、多分アタマのキハ58は回送やろ、と思ってたんですが、

もう一枚出て来たので、こういう運用が組まれてたと考えて間違いなさそうです。
今ではなおさらでしょうが、亀岡辺りというのは当時から京都まで1時間かからない、バリバリの通勤・通学圏で、非電化単線ながら、7時・8時代はそれこそ15分ヘッドって感じで長編成の普通が、下り列車と交換しながら京都まで上って行ってたんですね。
一両でも多くつなげたい、ってことだったんでしょうか、他に混結の列車は撮った覚えがないので、このキハ58は京都で切り離されて、きっと急行仕業に戻ってたのでしょう。87年に保津峡へは頻繁に通ったのですが、その頃にはこんな運用は残ってませんでした。

出て来ました。84年11月、保津峡-嵯峨。
キハ58+キハ47×8という、なんだか妙チクリンな組成で、多分アタマのキハ58は回送やろ、と思ってたんですが、

もう一枚出て来たので、こういう運用が組まれてたと考えて間違いなさそうです。
今ではなおさらでしょうが、亀岡辺りというのは当時から京都まで1時間かからない、バリバリの通勤・通学圏で、非電化単線ながら、7時・8時代はそれこそ15分ヘッドって感じで長編成の普通が、下り列車と交換しながら京都まで上って行ってたんですね。
一両でも多くつなげたい、ってことだったんでしょうか、他に混結の列車は撮った覚えがないので、このキハ58は京都で切り離されて、きっと急行仕業に戻ってたのでしょう。87年に保津峡へは頻繁に通ったのですが、その頃にはこんな運用は残ってませんでした。

東海道を行く101系 カナリア色
ドイツのディーゼル BR218
ナコ座 12系座敷車
「名古屋から、すごいお座敷列車が出たらしいで」
「展望車付きらしいやん」
「そらすげぇ!」
ってな会話をお仲間の間でしてたのは83年5月でしょうか。
出てきたのがこちら。

ナコ座とか、後にナコ展とか呼ばれるようになる、展望スペース付き、12系改造のお座敷列車でした。
初めて見た時は、相応のインパクトがありましたが、この数カ月後に品サロ・大サロ・長ナノ座というアピールの強い連中が次々に誕生し、テツ的には一気に注目度が下がり、ナコ座がすごい!期間はほんの僅かで終わってしまいました。
12系と同じ外観を持つ座敷がやがて次々と塗装を変更した(北オク・金サワ・天リウ・広ヒロ)のを尻目に、99年の廃車まで、このオリジナルの塗装を維持したようです。
模型ではマイクロエースが製品化してるんですね(へー)。


「展望車付きらしいやん」
「そらすげぇ!」
ってな会話をお仲間の間でしてたのは83年5月でしょうか。
出てきたのがこちら。

ナコ座とか、後にナコ展とか呼ばれるようになる、展望スペース付き、12系改造のお座敷列車でした。
初めて見た時は、相応のインパクトがありましたが、この数カ月後に品サロ・大サロ・長ナノ座というアピールの強い連中が次々に誕生し、テツ的には一気に注目度が下がり、ナコ座がすごい!期間はほんの僅かで終わってしまいました。
12系と同じ外観を持つ座敷がやがて次々と塗装を変更した(北オク・金サワ・天リウ・広ヒロ)のを尻目に、99年の廃車まで、このオリジナルの塗装を維持したようです。
模型ではマイクロエースが製品化してるんですね(へー)。


クモル24022 ワールド工芸動力の組込
すっかり模型記事がご無沙汰になってしまい、すみませぬ、と先月も同じようなことを書いた気がするんですが、仕事が忙しゅうてなかなか工作に手が回らんかったり、古い写真のスキャンが楽しかったり、工作そのものが一進一退で書くことがなかったり、だったわけでして。
で、お話は動力ユニットです。
スポッと入れれば終わりやん、と、軽く考えてたわけですが、いざやってみると、なんのなんの。
無蓋部床下とをつなぐ、連結パーツの利用を断念したことは前回ご覧に入れた通りですが、これが無いと、まず、

動力ユニットがスト~ンと車体に落ち込むわけですな。
車体内部に床板止めを接着すればエエやんか? と思うでしょ?!
甘い、甘いね、キミ。
そもそも台車が首振ると思ってるでしょ?

振らないのだよ! 車輪を保持してるフレームは、モーターが載ってる板に完全に固定されてて、動力ユニットそのものが首を振らないといけないのだよ!
もうね、3日ぐらい思考停止でしたよ。
幸いにして、動力ユニットの横幅は有蓋室内寸に比べて、

それなりに余裕がありますんで(当たり前)、なんとかして動力ユニットを保持しつつ、自由度をもって左右に首を振れるようにするしかありません。真っ直ぐしか走れない電車なんてイヤやし。
ま、ワタシごときが考え付く手法なんて、タカが知れてまして、

ネジと旋回座(黒のプラ部品)の間に、細めの梁を車体側に固定して、動力ユニットが潜り込まんように、かつ前後左右の遊びでもって動力ユニットがカーブに合わせて首を振ってくれることを期待する、っちゅう、なんだか頼りない方法でやってみることにしました。
下部を組み立て、

ボディをオン!

さて、どの程度走ってくれるのでしょうか???
で、お話は動力ユニットです。
スポッと入れれば終わりやん、と、軽く考えてたわけですが、いざやってみると、なんのなんの。
無蓋部床下とをつなぐ、連結パーツの利用を断念したことは前回ご覧に入れた通りですが、これが無いと、まず、

動力ユニットがスト~ンと車体に落ち込むわけですな。
車体内部に床板止めを接着すればエエやんか? と思うでしょ?!
甘い、甘いね、キミ。
そもそも台車が首振ると思ってるでしょ?

振らないのだよ! 車輪を保持してるフレームは、モーターが載ってる板に完全に固定されてて、動力ユニットそのものが首を振らないといけないのだよ!
もうね、3日ぐらい思考停止でしたよ。
幸いにして、動力ユニットの横幅は有蓋室内寸に比べて、

それなりに余裕がありますんで(当たり前)、なんとかして動力ユニットを保持しつつ、自由度をもって左右に首を振れるようにするしかありません。真っ直ぐしか走れない電車なんてイヤやし。
ま、ワタシごときが考え付く手法なんて、タカが知れてまして、

ネジと旋回座(黒のプラ部品)の間に、細めの梁を車体側に固定して、動力ユニットが潜り込まんように、かつ前後左右の遊びでもって動力ユニットがカーブに合わせて首を振ってくれることを期待する、っちゅう、なんだか頼りない方法でやってみることにしました。
下部を組み立て、

ボディをオン!

さて、どの程度走ってくれるのでしょうか???

伊那松島区訪問 82年4月 (続き)
では、奥の方へ入っていきましょか。
雨がレンズに付いたまま撮ってたようで、画質が悪いんですが、

クモエと並ぶはクモハ61004。この日はいつものペアではなく、奇数向きのクモハとくっ付いてました。今まで気付かなかったんですが、幌枠の側面に付くテスリが随分立派なんですね。
正面もどうぞ。

クモエを挟んで反対側。

駒ヶ根車輛さんあたりは、この顔面写真一枚で車番が判ってしまうんでしょうねぇ。
ED62。

今思えば、かっこええカマでしたねぇ。
クラの中には、

クハユニ56001。折りたたみ傘の柄が写ってるのはご愛嬌ってことで。
クモハ61003。

定位置ですよね、ここ。それにしても、幌付いた顔って俄然カッコイイ。
クハ68414。


幌枠下部両端の出っ張りって、何なのか、前から気になってたんですが、どなたか教えてもらえませんかぁ~?
雨がレンズに付いたまま撮ってたようで、画質が悪いんですが、

クモエと並ぶはクモハ61004。この日はいつものペアではなく、奇数向きのクモハとくっ付いてました。今まで気付かなかったんですが、幌枠の側面に付くテスリが随分立派なんですね。
正面もどうぞ。

クモエを挟んで反対側。

駒ヶ根車輛さんあたりは、この顔面写真一枚で車番が判ってしまうんでしょうねぇ。
ED62。

今思えば、かっこええカマでしたねぇ。
クラの中には、

クハユニ56001。折りたたみ傘の柄が写ってるのはご愛嬌ってことで。
クモハ61003。

定位置ですよね、ここ。それにしても、幌付いた顔って俄然カッコイイ。
クハ68414。


幌枠下部両端の出っ張りって、何なのか、前から気になってたんですが、どなたか教えてもらえませんかぁ~?

ドイツの蒸機 89.60
94年のPlandampf、チューリンゲン・ヴァルトIIのゲスト、

89.60。
どうやらバヴァリア王国鉄道時代の1898年から70両造られてDRG→DRと引き継がれ、1960年に引退したようですが、もう、こういう世界になると、チンプンカンプンです。
はっきり言って、それほどカッコエエとも思わんわけですが、オリジナル仕様の模型はえらいカッコ良く見えるのは、不思議と言えば不思議。

89.60。
どうやらバヴァリア王国鉄道時代の1898年から70両造られてDRG→DRと引き継がれ、1960年に引退したようですが、もう、こういう世界になると、チンプンカンプンです。
はっきり言って、それほどカッコエエとも思わんわけですが、オリジナル仕様の模型はえらいカッコ良く見えるのは、不思議と言えば不思議。

磐西 C58 363 1997年
DD51 5・6・7・8 「吹田第一区」
摂津富田から大阪へ向かう時は、岸辺を過ぎた辺りから、進行方向左側の吹田区を覗き見るのが常でした。何か珍しい機関車はおらんか(基本的に貨物中心だったので、珍しいカマはほとんど見られませんでした)、とか、吹田工場に変わったのが入場してないか、とか。
そんな吹田区で、いつもど真ん中に鎮座してたのが、

コレ。休車のDD51の四連。これまたbenkeiせんせとご一緒、というか金魚のフン状態。
前から

5・6・7・8と、明らかに故意に番号順につながれていたのでありました。
そんな4両に2両が足され、いよいよ古巣を離れることに。

疎開先の向日町への回送。1984.1.31、明日からダイヤ改正という、まさにその前日のことでした。カブリが怖くて、ココにしたのですが、今から思えば素直に山崎で撮っておけば、って感じです(笑)。
そんな吹田区で、いつもど真ん中に鎮座してたのが、

コレ。休車のDD51の四連。これまたbenkeiせんせとご一緒、というか金魚のフン状態。
前から

5・6・7・8と、明らかに故意に番号順につながれていたのでありました。
そんな4両に2両が足され、いよいよ古巣を離れることに。

疎開先の向日町への回送。1984.1.31、明日からダイヤ改正という、まさにその前日のことでした。カブリが怖くて、ココにしたのですが、今から思えば素直に山崎で撮っておけば、って感じです(笑)。

EF65・EF60 ラッセル回送
ブルトレ EF81 「北陸」 1983年
キハ52 128 オリジナル・ツートン
165系 急行 「比叡」
スイス ZB ABe130
スハフ42 109 福フチ
伊那松島区訪問 82年4月
ウクライナの蒸機 L型
DD51 生瀬スーパーオロシ
ゴハチ EF58 12 東京機関区
5番の次は12番。

ふと冷静にネガを見ると、止まりの写真がなく、一体このプレートの写真をいつどこで撮ったのやら。
初対面は83年3月。こちらが父ちゃん、

望遠がワタシ。

上牧は両面打てるとはいえ、午前の下りは

真っ黒。これも83年3月。
しばらく前にアップした摂津富田のカットは83年5月4日で、その次は、

83年9月23日の、やはり銀河51号。
塚本でもう一発。

宮原へ入る列車は比較的スピードが遅く、

余裕でズーミング(笑)。
お次は同年10月9日の銀河53号、

山科からスタートして、
高槻で、

ライトを付けてくれた運転士さんに感謝しつつ、
撮ったことあるから、とか関係なく、

再び塚本。
同日の8106レで帰るのを

やっぱり塚本にて。
これは2週間後の10月23日ながら、

突然やってきて嬉しいサプライズ。
荷2031レに入ったのを、

84年1月9日に撮ったのが最後でした。

ふと冷静にネガを見ると、止まりの写真がなく、一体このプレートの写真をいつどこで撮ったのやら。
初対面は83年3月。こちらが父ちゃん、

望遠がワタシ。

上牧は両面打てるとはいえ、午前の下りは

真っ黒。これも83年3月。
しばらく前にアップした摂津富田のカットは83年5月4日で、その次は、

83年9月23日の、やはり銀河51号。
塚本でもう一発。

宮原へ入る列車は比較的スピードが遅く、

余裕でズーミング(笑)。
お次は同年10月9日の銀河53号、

山科からスタートして、
高槻で、

ライトを付けてくれた運転士さんに感謝しつつ、
撮ったことあるから、とか関係なく、

再び塚本。
同日の8106レで帰るのを

やっぱり塚本にて。
これは2週間後の10月23日ながら、

突然やってきて嬉しいサプライズ。
荷2031レに入ったのを、

84年1月9日に撮ったのが最後でした。
