153系 155系 西小坂井疎開
いつから疎開してたんでしょうか、
西小坂井の153系(155系)はいつ通り過ぎても居る、そんなイメージでした。こちらのHPによると、57年11月から59年1月まで居たようで、1年強というと、それほど極端には長くはない、ですかね。
個人的に未だに疑問なのは、こんなに長いこと置いておいて、それこそガラス割れてたりするのを、どうやって解体先まで運んでたか、ということです・・・・。
上がクハ153-552、こっちは
クハ155-19だそうです。

個人的に未だに疑問なのは、こんなに長いこと置いておいて、それこそガラス割れてたりするのを、どうやって解体先まで運んでたか、ということです・・・・。
上がクハ153-552、こっちは


14系ハザ 「金星」
14系ハザで運転されていた、
臨時「金星」。名古屋-西鹿児島を特急料金払って座席で通すのはなかなか勇気の居る選択だと思いますが。82年夏の写真かと。
581系の定期「金星」はこの年の11月で廃止。代わりに、というわけではないんでしょうが、季節臨として設定されていました。当時は東京区のPFが牽く、面白くもなんともない列車でしたが、80年代後半からユーロライナーの車両が入ったり、JR東海の65の一般型が牽いたりと、ちょっと面白みが出た感じでしょうか。
臨時特急がいつまで走ってたのか、なかなかwebでは調べにくいのですが、こちらのHPによると、92年までは設定があったようです。

581系の定期「金星」はこの年の11月で廃止。代わりに、というわけではないんでしょうが、季節臨として設定されていました。当時は東京区のPFが牽く、面白くもなんともない列車でしたが、80年代後半からユーロライナーの車両が入ったり、JR東海の65の一般型が牽いたりと、ちょっと面白みが出た感じでしょうか。
臨時特急がいつまで走ってたのか、なかなかwebでは調べにくいのですが、こちらのHPによると、92年までは設定があったようです。

82年4月 辰野にて
チェコの蒸機 534
534型は、
戦後すぐに228両が製造された、1Eの貨物機であります。
貨物機ですからスマートさに欠けるのは当たり前として、
このなんとも言えぬアンバランスなスタイルはどうよ? テンダの方が長いんちゃうか?っちゅうぐらい胴は短く、SKODA独特のムカデテンダ、ドームは古臭いデザインやのにギースルエジェクター付き。ま、蒸機のカッコエエ・カッコ悪いは紙一重ですから、ある意味カッコエエと言えばカッコエエ。
96年5月、チェコのPlandampfに参加した頃、なんとなくフツーの列車写真に飽きてきてた感じで、
妙な撮り方してるのが多いんだな。今となっては勿体ない、としか言いようがなく、当時戦友殿からカッチリ撮っておいた方がエエで的な忠告をされてたんですが(笑)。

貨物機ですからスマートさに欠けるのは当たり前として、

96年5月、チェコのPlandampfに参加した頃、なんとなくフツーの列車写真に飽きてきてた感じで、


大タツ クモル24 床下配管(2)
ご無沙汰しております。
「5月は床下配管で終わり、なんてことにならなきゃいいが」と前の工作記事に書いたきり、6月も終わりに近づいて終わるどころか、なんぼも進んでない事実について。
なにせ忙しゅうてねぇ、W杯も面白いしさ。
クモル24021の空気側。真ん中らへんのブレーキシリンダのあたりは3連になってるようで、ともかく束ねてハンダでやってみたら、
グズグズ(笑)。
フラックスを点付けした時に水平方向に流れてしまったこともありますが、そもそもハンダ付けって、点じゃなくって面で接してないと接合する合金層が形成されないわけで、ちょっと触っただけでポロっといくのはそのせいで、割りピンに線材を挟んだだけじゃ(一番下はさておき)苦しいのかも、です。
ほんじゃ瞬着でやってみっぺ。
知佳さんにアドバイスいただいたので、先に割りピンを挿して、横から線材を通してくと、
あ~ら簡単! 先に割りピンと線材を固定するより圧倒的に楽チンです!
とはいえマンマだと3本の線材が接触してちょっとつまらんので、
小さく切った紙きれを間に差し込んでみた。紙の厚みなんて0.1ミリもないだろに、丁度エエぐらいの隙間が確保できるのは謎。
瞬着流して固定するところまではよかったんですが、両端を曲げる時に、
大失敗。なんと迂闊にも、あらぬ角度で曲げてしまい。。。。。
一旦抜いて、直線に戻して曲げ直そうと試みるも、それがいかに困難な作業かは、皆様よくご存知かと。
そうこうしてるうちに、一つ、また一つと、割りピンは外れ、元の木阿弥、ふりだしに戻る。
発想を変えて、3本固定してから曲げるのは難しかろうと、一本ずつ先に曲げて、
割りピンを固定。曲げてしまうと、床下に割りピン挿して線材通すのは無理なんで。
割りピンもボナの縦2連用から、
RLF 240 縦型割りピン 上下0.3ミリ
にグレードアップ。ご覧の通り下側は独立して通せるのがミソ。
3本固定。瞬着で。
長さバラバラですが、もう揃える気力も失せた。
床下へオン。
床板側辺ギリギリを穿孔してるつもりですが、この角度だとほとんど見えないぐら奥まってしまう切なさよ。
これぐらい目線を落とすと、
それなりですけど。
ってなわけで、1ヶ月半かかって、1両の片側が終了。。。
オレに模型をイジる時間をくれ!
「5月は床下配管で終わり、なんてことにならなきゃいいが」と前の工作記事に書いたきり、6月も終わりに近づいて終わるどころか、なんぼも進んでない事実について。
なにせ忙しゅうてねぇ、W杯も面白いしさ。
クモル24021の空気側。真ん中らへんのブレーキシリンダのあたりは3連になってるようで、ともかく束ねてハンダでやってみたら、

フラックスを点付けした時に水平方向に流れてしまったこともありますが、そもそもハンダ付けって、点じゃなくって面で接してないと接合する合金層が形成されないわけで、ちょっと触っただけでポロっといくのはそのせいで、割りピンに線材を挟んだだけじゃ(一番下はさておき)苦しいのかも、です。
ほんじゃ瞬着でやってみっぺ。
知佳さんにアドバイスいただいたので、先に割りピンを挿して、横から線材を通してくと、

とはいえマンマだと3本の線材が接触してちょっとつまらんので、

瞬着流して固定するところまではよかったんですが、両端を曲げる時に、

一旦抜いて、直線に戻して曲げ直そうと試みるも、それがいかに困難な作業かは、皆様よくご存知かと。
そうこうしてるうちに、一つ、また一つと、割りピンは外れ、元の木阿弥、ふりだしに戻る。
発想を変えて、3本固定してから曲げるのは難しかろうと、一本ずつ先に曲げて、

割りピンもボナの縦2連用から、

にグレードアップ。ご覧の通り下側は独立して通せるのがミソ。
3本固定。瞬着で。

床下へオン。

これぐらい目線を落とすと、

ってなわけで、1ヶ月半かかって、1両の片側が終了。。。
オレに模型をイジる時間をくれ!

DE10 片町線 マヤ検
ゴハチ 宮原区 EF58 138
宮原からの1両、

138番。
2灯シールドビームと言えば聞こえはいいが、

ブタライト、ブタ目、目玉焼き、ブタ野郎と、我々鉄チャンの評価は甚だ低く、101・143と共に、忌み嫌われた一両でした。
「ちくま」を牽いたって、

ブタはブタ。
せっかくの「つるぎ」回送も、

別のカマなら良かったのに、と思うばかり。
マジメに、

宮原の全車に普及しなくてヨカッタと心から思います。
こいつでなければ

バッチリやのに、くそーっ!
実は82年の時点では、

原型の1灯式で、
見比べていただければ、

いかにブタライトがゴハチの魅力を損ねてるか、ご理解いただけるはず。
ちなみに前に京都でDD13が入れ替えしてる姿をアップした大サロの回送を牽いたのも、

コイツでした。。。。
大阪で本来の荷を組成して、

京都まで

回送したわけですな。
団臨も、

コイツじゃしょうがない。
姫路の修学旅行臨でも、

ご活躍で。
ミハ座に入られた日にゃ、

落胆すること著しく。。。
下関集結組にも選ばれ、

最後まで活躍。
バルブは

ブタの鼻の穴が目立たんのが救いです。
申し訳ないけど、ホンマにキライでした(笑)。

138番。
2灯シールドビームと言えば聞こえはいいが、

ブタライト、ブタ目、目玉焼き、ブタ野郎と、我々鉄チャンの評価は甚だ低く、101・143と共に、忌み嫌われた一両でした。
「ちくま」を牽いたって、

ブタはブタ。
せっかくの「つるぎ」回送も、

別のカマなら良かったのに、と思うばかり。
マジメに、

宮原の全車に普及しなくてヨカッタと心から思います。
こいつでなければ

バッチリやのに、くそーっ!
実は82年の時点では、

原型の1灯式で、
見比べていただければ、

いかにブタライトがゴハチの魅力を損ねてるか、ご理解いただけるはず。
ちなみに前に京都でDD13が入れ替えしてる姿をアップした大サロの回送を牽いたのも、

コイツでした。。。。
大阪で本来の荷を組成して、

京都まで

回送したわけですな。
団臨も、

コイツじゃしょうがない。
姫路の修学旅行臨でも、

ご活躍で。
ミハ座に入られた日にゃ、

落胆すること著しく。。。
下関集結組にも選ばれ、

最後まで活躍。
バルブは

ブタの鼻の穴が目立たんのが救いです。
申し訳ないけど、ホンマにキライでした(笑)。

ブルトレ EF81 「日本海」 山崎にて
保津峡 キハ181系 「あさしお」
103系1000番台 回送
オランダのイヌ Mat '64
救援車 オエ61 82 高崎区
飯田線 辰野口 クハ47104 他
DD13 東武10000系 甲種
EF65一般 京急2000系甲種
関西ブルトレ EF65PF
キハ53 1 米子区
84年7月30日、benkei氏と共に米子区を訪れた時のカットから、

キハ53 1。
見るからに両数が少なそうな感じで、67年~69年に11両ですと。こちらのサイト様によると、同年3月に七尾から転属してきたばかりで、ブラインドが下ろされてるんで、もしかすると運用開始前だったのかも。

後に津山に移って廃車は95年だそうな。ダブルエンジンが幸いして、仲間は2003年の小浜線電化まで残った様子。
なんとも独特の風貌ですよね。木次線あたりでブイブイいわしてたんでしょうが、そんな姿を撮りたかったです。。。


キハ53 1。
見るからに両数が少なそうな感じで、67年~69年に11両ですと。こちらのサイト様によると、同年3月に七尾から転属してきたばかりで、ブラインドが下ろされてるんで、もしかすると運用開始前だったのかも。

後に津山に移って廃車は95年だそうな。ダブルエンジンが幸いして、仲間は2003年の小浜線電化まで残った様子。
なんとも独特の風貌ですよね。木次線あたりでブイブイいわしてたんでしょうが、そんな姿を撮りたかったです。。。


クモニ83 大垣区
オランダ インターシティ
12系客車 ミステリー列車
行先不明のミステリー列車なるものが、当時は結構頻繁に企画されてた、ってな話を前にも書きました。客車はほとんどが12系でしたから、お目当ては何といってもカマに付くヘッドマーク。蒸機に付くのを忌み嫌うのと矛盾してますが、なにせ当時は物珍しく、特別なマークが付いた列車が撮れると、ものすごい得した気になったもんです。
で、写真は、

12系のケツですが、カマにはマークが付かず、ケツにだけ付くという、ものすごいガッカリするパターンのやつ。
83年10月30日、米原にてミステリー83号。HMに「創ろう!夢とロマンの新たな一日」とあります。乗車された方々はどんな一日を過ごされたのでしょう?(笑)
窓が縦に長い12系のハフ(ウィキによると78年製最終増備車スハフ12-149~163)は関西の配置がなく、関東方面の所属だったと思ってますが、間違ってたらどなたか訂正下さいまし。
で、写真は、

12系のケツですが、カマにはマークが付かず、ケツにだけ付くという、ものすごいガッカリするパターンのやつ。
83年10月30日、米原にてミステリー83号。HMに「創ろう!夢とロマンの新たな一日」とあります。乗車された方々はどんな一日を過ごされたのでしょう?(笑)
窓が縦に長い12系のハフ(ウィキによると78年製最終増備車スハフ12-149~163)は関西の配置がなく、関東方面の所属だったと思ってますが、間違ってたらどなたか訂正下さいまし。

伊那松島区 2日目 82年4月
さて、それでは奥の方から見てみましょうか。
クモハ54129+クハ68420。

端正な旧40系の2連。ところで右の建物って何だったんでしょう。どなたかご存知でしょうか?
いつもの場所に、

クモエ21009。何度見ても凄い顔してるな、と。そしてRMMの葉賀さんの作品は見応えがあったな、と。
ちなみに前日はクモエの右に54133+61004という、ちょっと毛色の変わった2連がいて、左は47069+54110だったわけですが、この日の左は、

54133、あ、ビックリさせてすみません、お父さん、フィルム交換の時に慌てたかして、巻き上げないで裏ブタ開けてしもたんですよね(笑)。「しもた~!」と大騒ぎしてたのをよく覚えてます。
で、54133の裏は、

61003でした。
なぜこんな妙な車両の入れ替わりがあったのか? 実は54129の前に56004とペアを組んで61004が止まってまして、

本来の90台でない78という運行番号になってることから、何かの事情で変則的に54133とペアを組んでたのかな、と。54133にも78が入ってるんで。
54133は相方の68409が、これまた何かの事情で居ないので、お尻丸出しで放置するのもナンなんで、61003と繋げたのかな、と。ま、他愛のない想像です。
ママ区はその後2回訪れていますが、訪問中に奥の車両が動くのを見たことがないもんで、たった一日で二線とも車両が動いてることに、今になって驚いています。
21009は、

訪問の半年前に出場したばかりで、
側面なんかは、

ピカピカと言っても過言ではなく、鉄道車両って本線走行をして汚れてくんやなぁ、とあらためて気付かされますね。
クモハ54129+クハ68420。

端正な旧40系の2連。ところで右の建物って何だったんでしょう。どなたかご存知でしょうか?
いつもの場所に、

クモエ21009。何度見ても凄い顔してるな、と。そしてRMMの葉賀さんの作品は見応えがあったな、と。
ちなみに前日はクモエの右に54133+61004という、ちょっと毛色の変わった2連がいて、左は47069+54110だったわけですが、この日の左は、

54133、あ、ビックリさせてすみません、お父さん、フィルム交換の時に慌てたかして、巻き上げないで裏ブタ開けてしもたんですよね(笑)。「しもた~!」と大騒ぎしてたのをよく覚えてます。
で、54133の裏は、

61003でした。
なぜこんな妙な車両の入れ替わりがあったのか? 実は54129の前に56004とペアを組んで61004が止まってまして、

本来の90台でない78という運行番号になってることから、何かの事情で変則的に54133とペアを組んでたのかな、と。54133にも78が入ってるんで。
54133は相方の68409が、これまた何かの事情で居ないので、お尻丸出しで放置するのもナンなんで、61003と繋げたのかな、と。ま、他愛のない想像です。
ママ区はその後2回訪れていますが、訪問中に奥の車両が動くのを見たことがないもんで、たった一日で二線とも車両が動いてることに、今になって驚いています。
21009は、

訪問の半年前に出場したばかりで、
側面なんかは、

ピカピカと言っても過言ではなく、鉄道車両って本線走行をして汚れてくんやなぁ、とあらためて気付かされますね。
