1982年4月 伊那松島~帰途へ
半年に渡って初めての辰野口訪問の様子をご覧いただきましたが、そろそろおしまいです。
辰野から荷電245Mの片割れが1230Mとして2連で進入、
4連を組成する68403+50008がドッキング待ち、の図。
ホームから線路に降りて撮るは父、
ホームで眺めるは27年前のワシ。
80系で辰野へ向かう途中も、
すれ違う旧国を窓から撮る熱心さ。羽場駅みたいです。
辰野にて、1232M。
47009でござんすね。好きな車両の一つ。既に運転士側の窓がHゴムになってますな。
進入は順光でええけど、止まりは、
ひでぇ影でもう。
裏は、
相方のクモハの窓が全部桟入りなんで54001、したがってクハが68406。あ、駒ヶ根車輛さんにコメントしてもらったアレや!
日が暮れて、だんだん写真も苦しくなってきますが、
粘る親子。12番もカッコエエよなあ。
さらに日没後は
ストロボ登場。GNが小さいオモチャみたいなやつなんで、かなり無理があります(笑)。
こんなんも

ありました。当時はまだ71~73運用繰り返しの時代なんで、前日にママ区で顔を拝めたのは貴重だったんですよね。
車内も一枚。
旧国然としてないのには理由があったんでしょうかね。
この後長野へ向かい、「ちくま」で帰ったものと思われ。善行寺平の夜景に感激したのを覚えてます。
辰野から荷電245Mの片割れが1230Mとして2連で進入、

ホームから線路に降りて撮るは父、

80系で辰野へ向かう途中も、

辰野にて、1232M。

進入は順光でええけど、止まりは、

裏は、

日が暮れて、だんだん写真も苦しくなってきますが、

さらに日没後は

こんなんも

ありました。当時はまだ71~73運用繰り返しの時代なんで、前日にママ区で顔を拝めたのは貴重だったんですよね。
車内も一枚。

この後長野へ向かい、「ちくま」で帰ったものと思われ。善行寺平の夜景に感激したのを覚えてます。

オランダのドイツの23型蒸機
DD51 11 吹田第一区
EF70 2、EF70 4
ブルトレ「明星・あかつき」
キハ58 急行 保津峡で
クモヤ90008 高槻区
高槻区のクモヤ90は007・008・016・017(201・202)。71年の配置表でも81年のでも同じ。007は85年に廃車。008と017(クモハ32の後、職員輸送)が87年廃車、016は、84年より前に下関へ転じ、94年に廃車。
で、今日はクモヤ90008。
まさに高槻区。83年の春休み。
こちらは仕事中、
あまり編成が面白くないのが残念ですが。84年1月。
地方のクモヤは知りませんが、タツ区のクモヤは仕事も少なくなかったわけで、そういう意味では置換えが早かったのか、職員輸送の017以外、86年には動いてる姿を一度も見ませんでした。
車番のわからん大タツのクモヤ90の写真がいくらかあるんですが、また今度。
で、今日はクモヤ90008。

こちらは仕事中、

地方のクモヤは知りませんが、タツ区のクモヤは仕事も少なくなかったわけで、そういう意味では置換えが早かったのか、職員輸送の017以外、86年には動いてる姿を一度も見ませんでした。
車番のわからん大タツのクモヤ90の写真がいくらかあるんですが、また今度。

81系座敷 長ナノ
82年4月 伊那松島にて
大タツ クモル24 床下配管(3)
工作記事もこれだけ間が空いてしまうと、なんだか当人も何を書けばよいのやら的な戸惑いがあるんですが、前にも増してスローに進行中です。
電気側の床下配管をやるべし、と、
線材を切り出して、数本の割りピンを通した図。
このまま直線状態で植えるだけなら簡単でエエんですが、どの写真を見ても、台車の上辺りで、クニャリと内側に曲がっているので、えー、ウダウダ書くよりは写真を見てもらった方が早いですね!

この内側クニャリ、青梅のクモハ40054を実見するまで何のためのものか知らなかったのですが、百聞は一見に如かず、とはこのことで、
そう、フック掛けの開口部を回避する曲線なのでした。
で、これを表現すべし!とトライはしましたが、
やる前から、線材を揃えて曲げるのがどれほど難しいかはよくわかってますので、この程度でヨシとしましょう(笑)。
今回は空気側での反省を踏まえ、配管が奥まってしまわぬよう、
側板下部の断面に埋めたいな、と。セロテープで仮止めして、鉛筆で罫書き。
別に難しいことじゃない、
穿孔後、
差せば、
済む話。穴の深さがようわからんので、現物合わせで何度かやり直しました。
床板や台車の首振りとのアタリをかかわしつつ、
まだ若干の調整が必要ながらも、なんとか形になりました。
そう、端部の曲げとか、
結構難しいんでね、もうちょっと作業が必要です。
ちょっと低過ぎるかな、とも思うのですが、奥まってしまってなんだかよくわからない、
空気側に比べれば、やっぱり側板に差す方がええのかな、と。
初めての作業で試行錯誤したのと、えらい仕事が忙しかったせいもあって、1両済ますのに2カ月近くかかってるという、笑えない状況なんですが、そう、もう1両あるんですよね、これが。。。。。
電気側の床下配管をやるべし、と、

このまま直線状態で植えるだけなら簡単でエエんですが、どの写真を見ても、台車の上辺りで、クニャリと内側に曲がっているので、えー、ウダウダ書くよりは写真を見てもらった方が早いですね!

この内側クニャリ、青梅のクモハ40054を実見するまで何のためのものか知らなかったのですが、百聞は一見に如かず、とはこのことで、

で、これを表現すべし!とトライはしましたが、

今回は空気側での反省を踏まえ、配管が奥まってしまわぬよう、

別に難しいことじゃない、

差せば、

床板や台車の首振りとのアタリをかかわしつつ、

そう、端部の曲げとか、

ちょっと低過ぎるかな、とも思うのですが、奥まってしまってなんだかよくわからない、

初めての作業で試行錯誤したのと、えらい仕事が忙しかったせいもあって、1両済ますのに2カ月近くかかってるという、笑えない状況なんですが、そう、もう1両あるんですよね、これが。。。。。

D51 498 形式入りプレートの頃
EF61 1
ブルトレ EF81 「日本海」
嵯峨スーパーオロシ キハ47・キハ181系「あさしお」
715系1000番代 回送
名古屋臨海鉄道 救援車 ワ1
伊那松島区訪問 82年4月
C58 363 浦山口にて
DD51 亀山の500番代
カマの番号は若いほどエライ。これはワタシの中では鉄則(笑)。形態に差があるとかないとかはこの際関係ありません。
DD51で言えば、試作・先行量産型(1,2-4,5-19)がサイコーにエライ。次に初期量産型(20-53)がエライのは言うまでも無く、その次にエライのは500番代、そして600番代、700番代、800番代、1000番代、1100番代です。84年前後、500番代は半重連型という中途半端さと製造年数のせいで、初期型と同じように数を減らしつつあったのでした。
84/3/31の配置表によると、亀山区配置のDD51は35両、そのうち7両の500番代(518 531 536 538 554 593 594)が居たようですが、ワタシが目にすることが出来たのは、
531、

538、

既に休車状態の
536と594、の4両だけでした。
ついでに594とドッキングしてた、
602も貼っておきましょう。
594・602は重連総括が可能なもっとも初期のロットで、形態的に、例えばいまだ現役の1188番なんかと、違いは無いわけですが、基本的に車歴の古い個体から引退するってことですかね。
DD51で言えば、試作・先行量産型(1,2-4,5-19)がサイコーにエライ。次に初期量産型(20-53)がエライのは言うまでも無く、その次にエライのは500番代、そして600番代、700番代、800番代、1000番代、1100番代です。84年前後、500番代は半重連型という中途半端さと製造年数のせいで、初期型と同じように数を減らしつつあったのでした。
84/3/31の配置表によると、亀山区配置のDD51は35両、そのうち7両の500番代(518 531 536 538 554 593 594)が居たようですが、ワタシが目にすることが出来たのは、
531、

538、

既に休車状態の

ついでに594とドッキングしてた、

594・602は重連総括が可能なもっとも初期のロットで、形態的に、例えばいまだ現役の1188番なんかと、違いは無いわけですが、基本的に車歴の古い個体から引退するってことですかね。
