169系 快速 「天竜」
12系改造 サイエンストレイン
3度目の飯田線 82/10
3回目の飯田線訪問は82年10月、先の辰野・伊那松島訪問の半年後、ということになります。毎度記憶が曖昧ですが、この時点では既に置換えが発表されていたように思います。
ファースト・ショットは、

豊橋区でクモニ83。あなたの模型にも「手歯止め使用中」付けてあげて下さい。
実はこの日、「鉄道ファン」でも募集があった団体ツアーが訪問中で、そちらに紛れての闖入でした。
クモニの後方は、

アナザー・クモニ。後位って本線上ではなかなか見れませんでしたね。
モハ80を挟んでその後ろは、
トヨ区のヌシ、クエ28100。すごい顔ですねー、ワケわかんないですよねー。
裏ももちろん、
すごいんです。これの本線走行の写真はさすがにほとんど見ないですねぇ。

ファースト・ショットは、

豊橋区でクモニ83。あなたの模型にも「手歯止め使用中」付けてあげて下さい。
実はこの日、「鉄道ファン」でも募集があった団体ツアーが訪問中で、そちらに紛れての闖入でした。
クモニの後方は、

アナザー・クモニ。後位って本線上ではなかなか見れませんでしたね。
モハ80を挟んでその後ろは、

裏ももちろん、


DD51+50系 山陰本線 宇田郷
EF65 PF 配給回送
ブルトレ EF81 「日本海」 山崎にて
キハ58 急行「火の山」
甲子園臨 185系 前橋商業高校 1986年
辰野口にて 80系 82年4月
2日間に渡る辰野・ママ区訪問の様子を延々とご紹介してきましたが、80系がまるで出てこないのを不思議に思われた方がいらっしゃるかもしれません。
あらためて辰野に入って来る撮影可能な時間帯の80系運用を数えてみると、3往復+下り2本、と決して多くはないのですが、写真が少ない理由は、本数の少なさというよりも、どちらかというと、
「80系はまあ、どうでもええ」
という気分があったから、というのが実際のところです。
こんなに、
可愛い顔してるのに、ね(笑)。
そんなわけで僅かに残された80系のカットをば。
固定編成が崩れていなければ、これは、
クハ86348(※手前のタンクはタキ49926)。
なぜなら裏のこちらが、
クハ86309と読めるので。
これは車番読めず、
隣のコトラ45000(47263)は読めるんですが。
辰野へ戻るのに乗ったコレは、
飯田で折り返して来た86348っぽい。
ラスト。

こうやって一度に並べてみると、なるほど金太郎の塗分け線の曲率が緩いのと急なの(86309)があるのがわかりますね。
あらためて辰野に入って来る撮影可能な時間帯の80系運用を数えてみると、3往復+下り2本、と決して多くはないのですが、写真が少ない理由は、本数の少なさというよりも、どちらかというと、
「80系はまあ、どうでもええ」
という気分があったから、というのが実際のところです。
こんなに、

そんなわけで僅かに残された80系のカットをば。
固定編成が崩れていなければ、これは、

なぜなら裏のこちらが、

これは車番読めず、

辰野へ戻るのに乗ったコレは、

ラスト。

こうやって一度に並べてみると、なるほど金太郎の塗分け線の曲率が緩いのと急なの(86309)があるのがわかりますね。

ポーランドの蒸機 OL49-23
随分前に111番をご紹介しましたが、今日は番号違い、
23番。
Wolsztynに当時(94年の話)在籍したOL49は7、23、59、69で、それぞれ細部の装飾が微妙に違っておりました。23は後付けの立派なプレートとデフの下部の赤白線(国旗と同じ色でんな)が特徴でしたが、今はどちらも無いみたい。
走り。
どっかの駅を出てダッシュしてくるところ。
ケツ追い。

文句無しのええ煙ですが、
狙いが悪く台無し(笑)。
苦手な
流し撮り。決まらんなぁ。
バルブ。
白銀灯下でタングステンのフィルムを使ったもんで、原画は真っ青ですが、無理矢理修正したら白黒みたいになってしまつたよ。
後半は天気も悪く、
ヤル気が失せ、
駅で撮ったりと、
ダラけてます。
なんだか冴えんカットが多いわい。

Wolsztynに当時(94年の話)在籍したOL49は7、23、59、69で、それぞれ細部の装飾が微妙に違っておりました。23は後付けの立派なプレートとデフの下部の赤白線(国旗と同じ色でんな)が特徴でしたが、今はどちらも無いみたい。
走り。

ケツ追い。

文句無しのええ煙ですが、

苦手な

バルブ。

後半は天気も悪く、

駅で撮ったりと、

なんだか冴えんカットが多いわい。

DE11 1018
思えばDE11ってのも地味なDLでしたねー。
1018番、84年3月13日 名古屋駅にて。
この個体はその後衣浦臨海鉄道へ部品取りに引き取られて91年に解体されたそうですが、そんなことより2両目のマニが気になってしょうがない(笑)。
ウィキによると、DE10との違いは、SG無し、重連総括無し、空転防止用死重(コンクリートブロック)搭載ってことで、ジャンパ栓以外は外観の違いは無いそうな。0番代が65両、出力アップの1000番代が46両と、低騒音試作の1901と、低騒音2000番代4両、ってアレは別形式やろ、って感じですが。
2000番代はさておき、はてどこに配置されてたんじゃ?とS59.3.31の配置表を見てみると、高一、田端、品川、新鶴、静岡、稲一、富一、吹一、岡山、厚狭、香椎と、想像してたのよりはるかに広範囲なんでビックリしてしまいました。
撮りに行くなんてことはおろか、見かけてもシャッター押さない、ぐらいの地味さだった気がします。。。

この個体はその後衣浦臨海鉄道へ部品取りに引き取られて91年に解体されたそうですが、そんなことより2両目のマニが気になってしょうがない(笑)。
ウィキによると、DE10との違いは、SG無し、重連総括無し、空転防止用死重(コンクリートブロック)搭載ってことで、ジャンパ栓以外は外観の違いは無いそうな。0番代が65両、出力アップの1000番代が46両と、低騒音試作の1901と、低騒音2000番代4両、ってアレは別形式やろ、って感じですが。
2000番代はさておき、はてどこに配置されてたんじゃ?とS59.3.31の配置表を見てみると、高一、田端、品川、新鶴、静岡、稲一、富一、吹一、岡山、厚狭、香椎と、想像してたのよりはるかに広範囲なんでビックリしてしまいました。
撮りに行くなんてことはおろか、見かけてもシャッター押さない、ぐらいの地味さだった気がします。。。

EF60 506 「竜華機関区」
偶然にも電機ネタはブタライトが続いることに気がつき、ならば、ってことで、竜華区のEF60から506番を。ところでもしかすると、お若い方は竜華ってどこですか?って感じなのかしら? 最寄駅は久宝寺で、阪和・紀勢方面の電機とそこいらをウロチョロするDE10なんかを擁してたわけですけど、きっと今は跡かたも無いんでしょうねぇ。
86年9月15日、9301レ
新家-長滝ではないかと想像するのですが、違ったらごめんなさい。臨時「きのくに」で天王寺まで来たカットです。今で言う葬式テツで、11/1の改正で運用消滅と聞いて、慌てて撮りに行きました。
同9月20日、9307レ
こちらは14系団臨。80年代半ば天王寺駅の雰囲気をノートリミングでお届けしましょう。この場所、停止時間が極めて短く、三脚立て直すのにモタモタして撮り逃すのを恐れて、後ろに下がったまま(トリミング前提で)撮ってたんでしょう。
客車押し込んだ後、一旦単機で待機。
側面のナンバープレートの色挿しが、大宮育ちの証。竜華の現場の方は最初からブタライトのカマが来て、さぞや喜ばれたことでしょう(笑)。
竜華に来たEF60って、下関にきたEF62と同じような役回りだった、ってことですよね。

※そうそう、コメントのレスもつけないままで申し訳ないのですが、明日から1週間強夏休みをいただきます。。。。再開は13日あたりを予定しております。。。。
86年9月15日、9301レ

同9月20日、9307レ

客車押し込んだ後、一旦単機で待機。

竜華に来たEF60って、下関にきたEF62と同じような役回りだった、ってことですよね。

※そうそう、コメントのレスもつけないままで申し訳ないのですが、明日から1週間強夏休みをいただきます。。。。再開は13日あたりを予定しております。。。。
84年1月29日 PF ブルトレ 山崎にて
キハ181系 「おき」
ワタシの世代のお好きな人の中で、コロタン文庫を参考書として育った方は決して少なくないのでは?と想像するのですが、ワタシの場合、見たことの無い特急の名称を覚えたのは、xx百科だったのは間違いありません。
東京駅で「さくら」に始まるブルトレ群を見るのと、数えきれないぐらいの特急を上野駅で見るのが少年のワタシの儚き夢だったんですが(あ、もちろん57/11の前ですね)、その頃「おき」はきっと一生見ることないだろな、という妙な思い込みがありまして、つまり上野・東京に加え、博多や札幌を訪れれば、ほとんどの特急を見られるはずで、そこまで出来れば十分、小郡-鳥取でしか見られない「おき」は見れなくてもしょうがない、「おき」だけを見に行くことはないだろう、という、なんだか書いてる自分でもばかばかしくなるような、少年時代のインプットの話です。
そんな少年時代の予感とは裏腹に、benkei氏に誘われるがままC57を撮りに山口へ行き、見ることはないはずの「おき」を目にした時は、やっぱりなんだか少し不思議な気がしたものでした。
84年7月、
田代にて。キハ181-19。難所だけあって、排気バリバリですね。
二保交換のやつのケツ追いは
番号わからず。5両もつなぎながら、モノクラスなのは少し意外。
大山路にて、
キハ181-8。
キハはマークが小さいんで、絵入りは少々無理があるっちゅうか、やっぱり文字マークがイイっすね。
東京駅で「さくら」に始まるブルトレ群を見るのと、数えきれないぐらいの特急を上野駅で見るのが少年のワタシの儚き夢だったんですが(あ、もちろん57/11の前ですね)、その頃「おき」はきっと一生見ることないだろな、という妙な思い込みがありまして、つまり上野・東京に加え、博多や札幌を訪れれば、ほとんどの特急を見られるはずで、そこまで出来れば十分、小郡-鳥取でしか見られない「おき」は見れなくてもしょうがない、「おき」だけを見に行くことはないだろう、という、なんだか書いてる自分でもばかばかしくなるような、少年時代のインプットの話です。
そんな少年時代の予感とは裏腹に、benkei氏に誘われるがままC57を撮りに山口へ行き、見ることはないはずの「おき」を目にした時は、やっぱりなんだか少し不思議な気がしたものでした。
84年7月、

二保交換のやつのケツ追いは

大山路にて、

キハはマークが小さいんで、絵入りは少々無理があるっちゅうか、やっぱり文字マークがイイっすね。
