只見線 第三橋梁 キハ40
緩行線103系と485系「雷鳥」
京急1500形 1607
DD51 838 吹田機関区
EF65 30 稲沢機関区
EF66 30 下関区
1983.4.1 豊橋駅バルブ
前回ご覧いただいたライト流しは豊橋20:20頃着の1228Mで、折り返し、

20:37発豊川行きになる4連でした。クハユニ56011であります。
奥の2両は、
クモハ54125と、

クハ68418です。この立派な幌枠がクモハ43や53に残ってくれれば、さぞカッコよかったのですが。
こちらは22時過ぎ着の1230Mの折り返し、

22:50頃豊橋発の終電となる新城行き655Mですが、札が立ってないのはなぜでしょね。クハ47104。
前は助士側小窓が特徴の

クモハ54002ですね。
そしてこちら、

23:20頃着、上り最終の1232Mです。静ママ4連に天竜峡から荷電2両が付くのですが、天竜峡発が20時前後なのでバルブでしか撮れなかった列車ですね。なんでこんな顔が切れた写真を撮ってるのかっちゅうと、70-210のズームしか持ってなかったのであります。。。。今思い出しても悔しいです。。。。
中間のクモハ54133も載せておきます。

この日は00:19豊橋着の東海道線終電で来た父と合流し、豊橋駅のベンチでマルヨしたのでありました。。。

20:37発豊川行きになる4連でした。クハユニ56011であります。
奥の2両は、

クモハ54125と、

クハ68418です。この立派な幌枠がクモハ43や53に残ってくれれば、さぞカッコよかったのですが。
こちらは22時過ぎ着の1230Mの折り返し、

22:50頃豊橋発の終電となる新城行き655Mですが、札が立ってないのはなぜでしょね。クハ47104。
前は助士側小窓が特徴の

クモハ54002ですね。
そしてこちら、

23:20頃着、上り最終の1232Mです。静ママ4連に天竜峡から荷電2両が付くのですが、天竜峡発が20時前後なのでバルブでしか撮れなかった列車ですね。なんでこんな顔が切れた写真を撮ってるのかっちゅうと、70-210のズームしか持ってなかったのであります。。。。今思い出しても悔しいです。。。。
中間のクモハ54133も載せておきます。

この日は00:19豊橋着の東海道線終電で来た父と合流し、豊橋駅のベンチでマルヨしたのでありました。。。

ドイツの蒸機 41 1144-9
2007年10月のPladndampfから、

41 1144-9です。44と52-80が2機と、この41のラインナップだったのですが、44しか眼中に無かったので、41の走りはこの1カットのみで、これも移動中の踏切から撮ったテキトー写真です。
1D1のミカドで、ウィキによると366両作られて、216両が西独、122両が東独に引き継がれ(差分はポーランドなど他国)、それぞれ107両と80両が1950年代に新造ボイラーに置き換えられ生き残ったそうな。西独のうち40両は重油焚きに改造されたり(042)等々、いろいろあるようですが、西側の41は全面に踊り場が付いて顔付きが全然違うのも面白いです。
ともあれ取り立ててカッコよくもないわけですが、このカマは今でも元気に走ってるようであります。

41 1144-9です。44と52-80が2機と、この41のラインナップだったのですが、44しか眼中に無かったので、41の走りはこの1カットのみで、これも移動中の踏切から撮ったテキトー写真です。
1D1のミカドで、ウィキによると366両作られて、216両が西独、122両が東独に引き継がれ(差分はポーランドなど他国)、それぞれ107両と80両が1950年代に新造ボイラーに置き換えられ生き残ったそうな。西独のうち40両は重油焚きに改造されたり(042)等々、いろいろあるようですが、西側の41は全面に踊り場が付いて顔付きが全然違うのも面白いです。
ともあれ取り立ててカッコよくもないわけですが、このカマは今でも元気に走ってるようであります。

片町線マヤ検 DE10 1157
EF58 127 12系団臨
ブルトレ EF58 92 「明星6号」
79年か80年の写真だと思います。

父の撮影です、もちろん。
運用票っちゅうんでしたっけ、区名札の横のやつ、末期はほとんど使われてなかった印象なんですけど、どうですか。
ゴハチの原形小窓は末期まで残ったんで、92番は形態的な珍しさはないんですが、2桁の原形小窓で残ったのは74と96・98だけで、74は片側だけワイパーカバーが残り、98は尾灯だけ新型化された変顔で、何が言いたいのかというと、こういうシュッとした感じの原形小窓2桁機は96だけだったんで、この92番というのは今見るとえらい男前に見えるって話ですよ。
機番が2桁か3桁か、ってのは顔の印象をそこそこ左右するファクターなのであります。
あ、ブルトレの話、ゴハチの24系25形ってのはヘッドマーク付けて走ってた頃には存在しなかったこともあってか、似合ってるって感じではないんですけど、何でも牽いちゃいますよ的な逞しさが感じられて、結局カッコよろしいです。

父の撮影です、もちろん。
運用票っちゅうんでしたっけ、区名札の横のやつ、末期はほとんど使われてなかった印象なんですけど、どうですか。
ゴハチの原形小窓は末期まで残ったんで、92番は形態的な珍しさはないんですが、2桁の原形小窓で残ったのは74と96・98だけで、74は片側だけワイパーカバーが残り、98は尾灯だけ新型化された変顔で、何が言いたいのかというと、こういうシュッとした感じの原形小窓2桁機は96だけだったんで、この92番というのは今見るとえらい男前に見えるって話ですよ。
機番が2桁か3桁か、ってのは顔の印象をそこそこ左右するファクターなのであります。
あ、ブルトレの話、ゴハチの24系25形ってのはヘッドマーク付けて走ってた頃には存在しなかったこともあってか、似合ってるって感じではないんですけど、何でも牽いちゃいますよ的な逞しさが感じられて、結局カッコよろしいです。

キハ20 521 加古川区
クモユニ147-3 名カキ区
京急1000形 1421
DD51 837 吹田第一機関区
最初の2枚は再掲な気がするのですが、

83年6月12日の東武8000系甲種。
尼崎駅、ですな。

走りも撮りましたが、

まあ、ほら、中学一年生ですから。
84年1月8日、同じく8770レですが、

牽かれるは10000系になっとります。どうでもいいですけど、アルナ工機からはDD13で引き出してたので、なんで吹田(操)までDD51である必要があったのでしょう? 尼崎からEF65でもよかったでしょうに。
こちらは86年6月7日。

この線路って梅田行くんでしたっけ、それとも城東貨物? 前にも書きましたが、当時はここのビールケースの凄さに気が付きませんでした。
同年10月28日。

福知山線の客レ。
同機は今は門司区、ですか。この辺の番号のカマって、なぜかしぶといですが、吹田は他区と比べて極端に走行距離が短い気がするんですが、それが理由だったりしますかね?


83年6月12日の東武8000系甲種。
尼崎駅、ですな。

走りも撮りましたが、

まあ、ほら、中学一年生ですから。
84年1月8日、同じく8770レですが、

牽かれるは10000系になっとります。どうでもいいですけど、アルナ工機からはDD13で引き出してたので、なんで吹田(操)までDD51である必要があったのでしょう? 尼崎からEF65でもよかったでしょうに。
こちらは86年6月7日。

この線路って梅田行くんでしたっけ、それとも城東貨物? 前にも書きましたが、当時はここのビールケースの凄さに気が付きませんでした。
同年10月28日。

福知山線の客レ。
同機は今は門司区、ですか。この辺の番号のカマって、なぜかしぶといですが、吹田は他区と比べて極端に走行距離が短い気がするんですが、それが理由だったりしますかね?
