箱根登山鉄道 110号
中国の入れ替え用ディーゼル、DF7G
京急800形 811-6
DD51 1105 米子機関区
EF65 6 沼津機関区
EF66 6 吹田区
クモニ2連付きの245M (1983年4月3日)
磐越西線D51 試運転 (1997年)
嵯峨-保津峡を行く DD51+荷郵付き旧客
EF58 148 [東] + 14系ハネ
84年1月22日、ゴハチの終焉間近に、東京区のカマが14系ハネの団臨を牽いて関西までやってくるという、それ自体がレアな仕業に入りました。
ところが運用に就いたのは、

残念極まりない、148番。。。。
出向いた京都はご覧の通り薄っすらと雪が積もる早朝6時台だったか。走りは諦めるしかないスジだったはずで、この後向日町に入ったのだったと思います。関西では京都駅ぐらいしか撮れなかったと思うのですが、カマ番が伝わっていて皆ムダと判断したのか、テツはワタシの他にお一人しか居ませんでした。
DD51が邪魔なので、
過去にやったことのないレベルまで乱入。。。。
残念なカマではありますが、ゴハチに14系ハネ、めっちゃカッコよいですな。

ところが運用に就いたのは、

残念極まりない、148番。。。。
出向いた京都はご覧の通り薄っすらと雪が積もる早朝6時台だったか。走りは諦めるしかないスジだったはずで、この後向日町に入ったのだったと思います。関西では京都駅ぐらいしか撮れなかったと思うのですが、カマ番が伝わっていて皆ムダと判断したのか、テツはワタシの他にお一人しか居ませんでした。
DD51が邪魔なので、

残念なカマではありますが、ゴハチに14系ハネ、めっちゃカッコよいですな。

PFマーク無し九州ブルトレ
山崎-高槻を行く485系ボンネット「雷鳥」
中国高速鉄道 CRH380D
京急 600形 655-4
DD51 1104 米子機関区
1044の次は1104まで飛びます。なぜならS59.3末の配置が以下のように、
釧路 1054, 1055
旭川 1059, 1061-1063, 1080, 1081, 1083-1097
小樽築港 1045-1051, 1067, 1077, 1078, 1082, 1101
岩見沢第二 1056-1058, 1060, 1064, 1065, 1068, 1069, 1072, 1074, 1075, 1100, 1102
鷲別 1052, 1053, 1073, 1076, 1098, 1099
五稜郭 1066
直方 1070, 1071
2両を除き北海道に集中配置されているっちゅう単純な理由です(1079と1103は追分機関区の火災で焼失)。ここいらは昭和48年度~50年度の落成で、まさに無煙化にとどめを刺した一群と言えそうです。
さて、1104。

84年12月31日、福知山駅にて「山陰」を牽く図。年末で一両増結してますな。ライト付いて番号見えませんが、
給水終えてSGも落ち着いて、ライトが消えた姿がこちら。

平成12年の廃車です。
釧路 1054, 1055
旭川 1059, 1061-1063, 1080, 1081, 1083-1097
小樽築港 1045-1051, 1067, 1077, 1078, 1082, 1101
岩見沢第二 1056-1058, 1060, 1064, 1065, 1068, 1069, 1072, 1074, 1075, 1100, 1102
鷲別 1052, 1053, 1073, 1076, 1098, 1099
五稜郭 1066
直方 1070, 1071
2両を除き北海道に集中配置されているっちゅう単純な理由です(1079と1103は追分機関区の火災で焼失)。ここいらは昭和48年度~50年度の落成で、まさに無煙化にとどめを刺した一群と言えそうです。
さて、1104。

84年12月31日、福知山駅にて「山陰」を牽く図。年末で一両増結してますな。ライト付いて番号見えませんが、
給水終えてSGも落ち着いて、ライトが消えた姿がこちら。

平成12年の廃車です。

EF66 7 吹田区
天竜峡を行く、1222Mの5連 1983年4月3日
前日は天竜峡駅あたりの旅館に泊まったはずで、そのことはこれっぽっちも記憶に残っていないのですが、宿の朝食も早々に、7時50分あたりの

241M三河川合発伊那大島行からスタートしています。
で、そいつと天竜峡駅で交換する1222Mの遠景。

メインは当然こちら

ですが、
これもいまいち、

シャッターの切り位置が拙いですなぁ。
お気づきの方もいらっしゃるかと存じますが、この場所、RF誌82年11月号だかで紹介された撮影地です。ただ、後になって雑誌の写真と見比べて、もっと手前の川が入る立ち位置があったはず、ってことがわかりました。
ちなみにここでお会いした新潟の学生さんの二人連れとはしばらく文通させていただくことになり、しかもお一人の方は後年、RF誌で頻繁にお名前を見かけるようになり、不思議なご縁を感じたものであります。。。


241M三河川合発伊那大島行からスタートしています。
で、そいつと天竜峡駅で交換する1222Mの遠景。

メインは当然こちら

ですが、
これもいまいち、

シャッターの切り位置が拙いですなぁ。
お気づきの方もいらっしゃるかと存じますが、この場所、RF誌82年11月号だかで紹介された撮影地です。ただ、後になって雑誌の写真と見比べて、もっと手前の川が入る立ち位置があったはず、ってことがわかりました。
ちなみにここでお会いした新潟の学生さんの二人連れとはしばらく文通させていただくことになり、しかもお一人の方は後年、RF誌で頻繁にお名前を見かけるようになり、不思議なご縁を感じたものであります。。。
