DD51 1179 福知山機関区
1179は結構撮ってました。83年12月28日、大阪駅にて739レ。

客車9両って長いっすよね、こんな長いのは59.2までかと。
84年11月11日、武田尾にて。

この時期はナンバーが、

ペンキ書きになってました。
84年12月31日、竹野にて。

やはり手書きナンバー。
85年7月、生瀬にて。

元のナンバーに戻ってます。夏季臨のなんちゃらビーチ。今これ走ったら毎日行きます。どこまで走ってたんでしたっけ?奥の方で撮った写真は見たことない気がします。
87年2月8日、保津峡7:33発の834レ。

駅から10分ぐらい、トンネル一つ抜けただけですが、川の音しか聞こえない一人だけの世界。この日を皮切りに保津峡詣でが始まったのでした。

87年5月4日、同じ場所、同じ列車。

87年6月、保津峡、確か福島の人さんと一緒に撮った気が。

87年7月25日、再び834レ。

ケツに臨時の回送付き。50系10連の列車がプップルになるのは珍しく、結構興奮しながら撮った覚えがあります。こういうの一人で好きなように撮る、今思えば贅沢な時間でした。


客車9両って長いっすよね、こんな長いのは59.2までかと。
84年11月11日、武田尾にて。

この時期はナンバーが、

ペンキ書きになってました。
84年12月31日、竹野にて。

やはり手書きナンバー。
85年7月、生瀬にて。

元のナンバーに戻ってます。夏季臨のなんちゃらビーチ。今これ走ったら毎日行きます。どこまで走ってたんでしたっけ?奥の方で撮った写真は見たことない気がします。
87年2月8日、保津峡7:33発の834レ。

駅から10分ぐらい、トンネル一つ抜けただけですが、川の音しか聞こえない一人だけの世界。この日を皮切りに保津峡詣でが始まったのでした。

87年5月4日、同じ場所、同じ列車。

87年6月、保津峡、確か福島の人さんと一緒に撮った気が。

87年7月25日、再び834レ。

ケツに臨時の回送付き。50系10連の列車がプップルになるのは珍しく、結構興奮しながら撮った覚えがあります。こういうの一人で好きなように撮る、今思えば贅沢な時間でした。

1983年5月29日 辰野駅にて クモハ54002、クハユニ56001
4月の4日に渡るツアー、父からは「これが最後や」とはっきり申し渡されていたわけですが、息子のボクはどうしてももう一回行きたかったみたいで、どのように説き伏せたのか、もう記憶にないのですが、多分年甲斐もなく?駄々をこねたのでしょう、往復「ちくま」の最後のツアーが実現する運びとなりました。辰野口往復にどれほど費用がかかるのか、中一のワタシは全く認識してなかったはずです。中学上がりたてのワタシの運賃は小人で誤魔化したのは確かですが、それにしてもワガママな坊主でした。
振り返って、父には感謝しかないわけですが、旧国の何がそんなにワタシを夢中にさせたのか、いまだによくわからないです。半流と平妻とクハユニ・クモハユニぐらいしかわかってなかったし。でも二扉車は好きだったなぁ。
そんなわけで、5月29日、再び辰野駅に降り立ち、まずは駒ヶ根始発の221Mの到着から。

好みの二扉車は中間に入ってしまってますが、クモハ54002、かっこいいですね。
90代運用は、ワタシの好きな、

クハユニ56001です。この3枚Hゴム顔がたまらんのだな。どうでもいいんですけど、今ホームにプランター置いてる駅なんてありますかね?
ちなみにこのへんは父ちゃんが撮ったもんですが、

バリバリ線路に降りてます(笑)。
折り返し時間は短かったはずですが、しっかりケツまで撮ってから乗車、

再び飯田線の旅へ!

振り返って、父には感謝しかないわけですが、旧国の何がそんなにワタシを夢中にさせたのか、いまだによくわからないです。半流と平妻とクハユニ・クモハユニぐらいしかわかってなかったし。でも二扉車は好きだったなぁ。
そんなわけで、5月29日、再び辰野駅に降り立ち、まずは駒ヶ根始発の221Mの到着から。

好みの二扉車は中間に入ってしまってますが、クモハ54002、かっこいいですね。
90代運用は、ワタシの好きな、

クハユニ56001です。この3枚Hゴム顔がたまらんのだな。どうでもいいんですけど、今ホームにプランター置いてる駅なんてありますかね?
ちなみにこのへんは父ちゃんが撮ったもんですが、

バリバリ線路に降りてます(笑)。
折り返し時間は短かったはずですが、しっかりケツまで撮ってから乗車、

再び飯田線の旅へ!

インド国鉄 Jalandharで撮ったWP型
新型コロナウィルスによる生産活動抑止で、インド北部からヒマラヤが何十年ぶりに見えるようになったそうで、そんな街の一つとして、Jalandharが取り上げられてました。で、乗り継ぎで降りただけなんですが、JalandharのWPです。

ほんま、ヘタな走り撮るより、数十年過ぎてから見ると、駅撮りが一番カッコ良かったりするのは不思議。
構内入換え中。

ここからちょっと南のSaharanpurがWPの最後の牙城になったわけですが、訪問時(93年12月)、Jalandhar所属のWPは一握りになってたと思います。この装飾のWPは2回しか撮ってません。

こういうのつい撮っちゃいます。

発車!

蒸気だだ漏れ(笑)。

大丈夫かいな。。。

カッコエエ機関車じゃ。

空の色を見ていただくと、この当時のですら空気が濁ってたのがおわかりいただけるかと。


ほんま、ヘタな走り撮るより、数十年過ぎてから見ると、駅撮りが一番カッコ良かったりするのは不思議。
構内入換え中。

ここからちょっと南のSaharanpurがWPの最後の牙城になったわけですが、訪問時(93年12月)、Jalandhar所属のWPは一握りになってたと思います。この装飾のWPは2回しか撮ってません。

こういうのつい撮っちゃいます。

発車!

蒸気だだ漏れ(笑)。

大丈夫かいな。。。

カッコエエ機関車じゃ。

空の色を見ていただくと、この当時のですら空気が濁ってたのがおわかりいただけるかと。

