1982.11.3 長篠城にて

82年10月の連休に続く飯田詣では11月3日。といっても実はこれ、父親単独です。

長篠城からスタートしてます。
08211103_0001.jpg朝の6連。同業の方が写ってますね。

0821103_0002.jpg間もなく運用から離脱しようとしてる割にはオデコがきれいです。

ケツ追いは、
0821103_0003.jpg所定のクハ85。今更言うのもナンですが、おもしろい顔してますね。

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先頭車化改造車いろいろ

浜松工場独特の工事として前面通風口の埋め込みが行われており、クハ86形の幕板の通風器の他、クハ85形のワイパー取り付け部の左側にあった通風器も撤去されているのがわかります。
 クハ85形の運転台の構造ですが、台枠をそのまま生かした切妻で簡略化しながらもクハ86形との共通性を持たせたのが幕板のライトと運行窓になったのでは、と思われます。
 従来の形式との共通性を持たせることは大きな要素のようで、昭和50年代後半からの運転台ユニット切り接ぎによる先頭車化改造でも115系は715系のような切妻の運転台、485系は185系のような運転台が検討されたことがあったようですが、扱いの共通性が重視されて従来形式と同じ形態の運転台になった、という話を聞きました。
 切り接ぎも理論上は台枠の位置が同じになるはずなのですが経年による微妙な歪みのために位置が微妙にずれ、単純に突き合わせると接着面積が小さくなるため、台枠と同じ厚さの鉄板を切断面に溶接することによって接着面積を稼ぐ、という方法がとられました。また、電線は1カ所にまとめてつないだため、115系の場合は運転台後ろのロングシートが電線を集約した場所になり、この部分が10cmほど室内側に出っ張っています。
 切り接ぎ加工はアルミ車が難しかったようで381系ではかなり入念な工法の検討が行われたようです。また、JR東海のクロ380形展望車では車体中央付近が切り接ぎ場所になったために溶接ではなく、ボルト締めが行われたようです。この車を確か長野駅で見たとき、たまたま鋼材関係の会社の人が数人切り接ぎ部に集まっていて車体の接合について話し合っていたのに立ち会ったことがあります。

原口さん、
クハ86の前面通風口は以前に教えていただきましたが、見事にクハ85も、だったんですね。意識して見るといろんな発見があるもんで面白いもんですね。
先頭車化改造や切り継ぎに関わるお話も非常に興味深いですね。確かに扱う側の立場としては、なるべく仕様は同じであるに越したことはないでしょうが、趣味的にはいろんな顔があった方が面白いですけど。
クロ380で、切り継ぎが中央になるとなぜボルト締めになるのか、技術的な理由がよくわからないのですが、先日のNHKのC6120の修理を追ったドキュメンタリーでは、サッパボイラのリベット打ち技術がずばりハイライトだったように思います。

アルミ車両の先頭車化改造

アルミは溶接性にやや劣るのが難点で、パノラマのクロ380では車体中央が切り接ぎ位置になってしまうため、強度の低下を恐れてボルト接合になったと聞きました。ボルトで鋼体をつないだ後につなぎ目を整形したようです。381系最初の先頭車化改造の伯備線のクモハ381形では工事に当たって入念な強度計算と工事方法のチェックが行われたそうです。
 溶接は周囲に熱による歪みをもたらすのが欠点で、接合部付近に常に応力がかかった状態になり、昭和戦前の船舶では全長200mほどの軍艦(潜水母艦「大鯨」)が溶接による船体組み立てとともに応力が積算して船体が完成した時にはメートルオーダーで大きく反った、という話が有り、また、第二次大戦時に寒冷地へ行った船が溶接部分から切断したという話もあります。

原口さん、
丁寧な解説をありがとうございます。なるほど理解できました。鉄鋼に比べるとアルミの技術は歴史が浅いですもんね。今同じことをやるとしたら、それでもボルト締めになるのか、知りたいところです。船の話も面白いですね。今日では一般鋼の溶接技術は完全に確立されていますが、当時は試行錯誤だった、ということでしょうか。寒冷地での破断は低温脆性というやつですね。
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Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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