EF81 129  富山第二区

パーイチは130~136まで写真がありませんでした。85年の配置表では、137~と同じ長岡の所属なんですが、130~136は本来酒田で、名義上同じ長岡区ということになっていますが、東新潟の137~とは、この時点では運用が混ざってなかったのではないかと想像します。

で、129は、1975年の産、敦賀第二区で、まずは84年9月の団臨。
081129_198410.jpg後ろはサワ座じゃないかと思うんですけど、なんでしょね、「民謡」って。民謡好きの皆さんで旅行? ハネは民謡の先生用?? 

敦二区は、85年に富山第二区に統合され、こちらは86年8月、
081129_19860823_8513.jpg大サロ。強烈に眠たい写真でお恥ずかしいばかり。

現在もローピン帯無しで活躍中なようです。

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EF81形いろいろ

130~136号機中、特筆すべき存在は135,136号機で、EF81形は1つの予算で5両あるいは10両以上まとまって製作されている中で、昭和50年度第3時債務で2両だけ製作されています。これは、昭和50年10月26日の碓氷峠の事故でEF62形12,35号機、EF63形5,9号機が廃車になったものの補充です。EF63形のほうは24,25号機が製造されましたが、EF62形のほうは汎用性を重視してEF81形が代替製造になりました。この時にEF62形の直江津―新潟間の運用を差し替えました。

JRになってからのEF81形では453~455号機で裏話があるようです。500番台は501~503号機が製作されましたが、さらに504~506号機製作の予定があったらしいです。この時に仮発注が行われ、ある程度製作が行われたところでキャンセルされたためにデッドストックになったものが、453~455機に流用された、という説があります。450番台は451, 452号機が角型ヘッドライトだったのが453~455号機の形態が先祖返りしたことの説明にもなっています。

一番上の写真ですが、急行「能登」の14系は57-11改正から60-3改正の間金沢運転所の配属になっており、金沢和式と14系寝台車の組み合わせはこの間に限定されます。なお、60-3改正では「能登」は「妙高」169系化による捻出車で尾久客車区へ持ち替えになり、14系寝台車は宮原へ転属して「きたぐに」583系化で捻出された14系寝台車と組み合わされて「銀河」20系置き換えへ転用されました。

原口さん、
パーイチ裏話をいろいろとありがとうございます。どれも知らない話ばかりで面白いですね。500番代や450番代は蒸機へ偏向した後の登場なので、撮ったことないんですけど、珍種っぽくって気になる存在です。
サワ座+14系ハネの組合せは、この他にも一度撮ったことがあるのですが、なるほど57-11~60-3の間だったりします。
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Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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