1982.11.23 1222M クモニ付き5連

当時の飯田線南部のハイライトと言えば、午前中に辰野から下りてくるクモニ付の1222Mである、と言いきってよいかと思うのですが、その前に、
0821123a_0024.jpg601M、「伊那1号」。ガードレールが目障りである、という認識が小6のワタシにあったかなかったか。

車窓的には
0821123a_0025.jpgちょっとしたハイライトでしたけどね、この辺り。

でもって、東栄で交換してきた、
0821123a_0026.jpg1222M。他に撮りようなかったんか?という感じの写真ですが(笑)。

ケツ追い。
0821123a_0027.jpgそういやRM誌で紹介されてるタヴァサのご主人が製作されたセクションは、この辺りの雰囲気ですよね。


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タヴァサのセクション

そうです。タヴァサ店頭でも展示されていましたが、最近行っていないので今はどうなってるのかな? いずれにせよ、槙原界隈は模型にしたくなるほど魅力的な場所です。

そういえば、第6水窪側橋梁(渡らずの鉄橋)のセクションもあったはずですが、そっちもどうなったのでしょうか?

1222Mは、当時定宿にしていた平岡の旅館を朝出て、南部に出向くのに必ず利用していました。5両編成だったため、水窪以北の駅では大概最後尾の車両がホームからはみ出て、特に伊那小沢などでは橋梁上に停まって、なかなか恐怖感がありましたね。

七久保さん、
あのセクションは店頭での展示もあったんですね。特徴をよく捉えていて、自分も欲しくなる、そんな作品でした。タヴァサって日曜休みなせいもあって、まだ行ったことないんです。クモハユニのCDも欲しいし、いつか行ってみたいんですが。
1222M、よく乗車されてたんですね。三河槇原も最後尾はホームからはみ出てましたが、伊那小沢の話はなかなかインパクトがあります。室内で開いたドアの下が鉄橋ってのは、客車デッキの解放感とは別種の恐さだったことでしょう!
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模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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