キハ47 武田尾を行く

86年6月1日、
0dc47_19860601c_423d.jpgメモによると423D、ってことはケツ追いですな。当時のキハ47はいわゆる「フィルムのムダ」的な存在で、実際撮ってるカットは意外なほど少ないんですが、気持ちのええ順光に思わずシャッターを押したんでしょう。

こちらは前日の大雨でえらい増水してる7月23日、
0dc47_19860723c_0034.jpg廃線一週間前なんで、なんでも撮っておかんと、ってとこでしょか。

あらためて、25年経つとなんでもなかったもんが貴重になるんやなぁと思います。。。


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武田尾って 今の若いひとはわからんでしょうなぁ
この辺で撮った大サロ(宮原のなにわ)がお気に入りで下敷きに挟んでました。
そういえば大サロも来月の運転で終わりらしいね。寂しいもんです。
最後はC62にでも牽かせればいいのに。。

私もずっと東日本住まいなこともあり、どこのことかわかりませんでした。RP誌の福知山線電化の工事のニュースで別線付け替えになった区間の写真の風景が写真とよく似ており、確かこの近くに新線がコンクリート橋で川を横断していたはずです。

上の写真のキハ47型だけで5両編成というのが珍しい感じがしました。また、首都圏色だけというのもJRになってからは各地域色に急速に塗り替えられるのでおそらく2,3年以内に見られなくなったはずです。RP誌のキハ40系特集で、最初にキハ47型が投入された時、キハ47型だけの10両編成が運行された、という記事がありましたが、それ以外はキハ58系やキハ20系、キハ35系と一緒に編成を組んでいたという印象があり、やはり単独形式での長い編成というのは珍しい気がします。

>福島の人さん

「サロンカーなにわ」がもうすぐ引退ですか。
「サロンカーなにわ」は「サロンエクスプレス東京」とともに鉄道雑誌を購入し始めた頃(1983年末ごろ)に「初の欧風客車」として改造され、「ジョイフルトレインの元祖」のような印象を持っていました。確か配給電車さんのところにも報告したRF83-12号の臨時列車特集がちょうどデビューの頃だったと思います。また、その後改造された欧風客車は12系が種車のものが続いており、少数派の「14系が種車のジョイフルトレイン」という印象もありました。
その後、12系改造のお座敷客車を含め、改造や塗装変更で印象を大きく変えていく中で、「サロンカーなにわ」は改造当初の形態を色濃く残したまま今に至っているのが珍しいです。

福島の人さん、
大サロの写真を下敷きに挟むなんて、そんな可愛らしい一面があったとは(笑)。 そうか、大サロも終了か。いつかはそうなるに決まってるけど、いざ聞くと寂しいもんやな。

原口さん、
そうですよね、武田尾なんて極めてローカルで、関東方面から撮りに来られる方なんて、きっとほとんどなかったでしょうね。なるほどキハ47のみの5両というのは、全国レベルで見ると、珍しい方だったのかもしれません。福知山あたりは大量投入エリアで、20・23・35といった他形式は皆無、キハ58系は急行に、と住み分けがはっきりしていました。確かにこの翌々年から地方色が導入されているため、当時忌み嫌われたタラコ単一というのは思ったより短かった、というのは意外な事実ですね。
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模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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