和田岬線のDE10+客レ

編集長敬白に勝手に連動。和田岬線。
0101192_19860318c_522.jpg朝一番の上りが兵庫駅に戻ってきたところです。

線路に沿って少し歩きまして、0101192_19860318_524.jpg二本目。こちらサイドだと、良くも悪くもヘンチクリンな旧客には見えないっちゅうわけ。

同じく。
0101192_19860318c_524.jpg

3本目。
0101192_19860318c_526.jpg後ろが川重っぽいけど、撮影当時は知らなかった(笑)。

和田岬側は前にアップした通り、DD13でした。この時点ではプッシュプルですが、やがて単機で機回しするようになるんですね。

で、これが記事で触れられている
0101192_19860318c_528a.jpg
和田旋回橋であるのは間違いないんですが、この時点ではどうだったんでしょ。素人目には旋回するようには見えないのですが(笑)。

以上86年3月18日でした。

おっと、DE10 1192番は、吹田の貨物機として現役のようですね!

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お久しぶりです

随分と前にコメントさせて頂いた者です。
今は鉄道模型にハマってます(笑)。

さて和田岬線の客車列車懐かしいですね。
何も知らずに日中に撮影に行って,夕方まで待たされた
苦い経験を思い出しました(笑)。こういう味のある車両は
ほんと消えてしまいましたよね。キクハ35の頃も好きでしたよ。

川崎造船の変遷

川崎重工は部門の分割や統合がけっこうあり、鉄道部門でも変遷をたどると組織がかなり変わっているはずです。古くは「川崎造船」の名で電車を作っていて、「川造型」というジャンルを作っていますが、その後「川崎車両」になったり「川崎重工」になったりしています。原点でもある造船のほうでも「川崎造船」から「川崎重工」になり、最近になってまた「川崎造船」になっています。

造船会社としての川崎造船は軍事のほうでよく知っており、三菱長崎造船所と並ぶ大形船を建造できる造船所として、「神戸川崎造船所」の名でなじみでした。「三菱長崎」に対する「神戸川崎」として覚えたので、かなり長い間「川崎」を地名だと思っており、会社の創立者の名だと知ったのは割と最近のことです。大形船を作れる民間造船所が2か所だったので、日本郵船が昭和15年の東京オリンピックに向けて発注したサンフランシスコ航路の豪華客船は三菱長崎と神戸川崎に1隻ずつ発注され、それぞれ「橿原丸」「出雲丸」の名が付く予定でした。

YANチョさん、
ブログ拝見しました。懐かし系で楽しいですね。模型の考察も面白いです。ところで日中にココを訪れるってのは、随分無謀でしたね、フツー時刻表ぐらい見てから行きませんかね?(笑)

原口さん、
昔からカワジュウと呼んでますが、実はいろいろあったんですね。お恥ずかしながら造船方面で過去それほど名を馳せていたのは知りませんでした。社名の方は、本社が川崎にあるんやろ、ぐらいに思ってました(笑)。
プロフィール

18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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