スエ71 4 亀山区

86年11月の竜華区の開放にて、
0pc71 4sue_198611_0018亀山のスエ71 4。

連結器周りがなんだかスゴイですが、車歴がビックリで、順に遡ると、マニ74 3←オハ71 112←サハ48011だそうで、エーッ、これがサハ48だったんですかー?!

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モハ32系昭和5年型の証拠

この車がサハ48011を含む昭和5年型モハ32系20m車である証拠は妻の裾の形態にあります。この部分が一段下がっており、妻を回り、側板に入って少し行ったところで上がって側板の裾に接続しているのは「我が心の飯田線掲示板」ですぎたまさんと戦災復旧車の話をした時にも出た「下降型」の形態で、昭和6年型はこの部分が妻板の中で上昇して側板に接続する「上昇型」の形態に変わります。元はリベットが多い車体だったのですが、車体を作り直しており、原型が無くなっても流用した台枠の形態が「下降型」の形で表に現れていることになります。

車体新造は

マニ72じゃなかったですか。
オハ71になった際に、前歴の如何を問わず、ほぼ統一した車体になったのでは?

>なにわさん
 確かにマニ72形は車体新造で、オハ71形への復旧よりも少し後に車体の破損の激しい戦災車を直接荷物車にする際にほぼ統一設計の車体(とはいっても窓の高さが電車を継承している)になっています。
 一方でマニ74形はオハ71形として復旧された際にいろいろな車が発生しています。写真のスエ71 4も台枠からモハ32系昭和5年型だとは分かるのですが、車体からリベットが無くなっており、復旧の際に少なくとも大部分の外板が貼り替えられた可能性が高いです。RPアーカイブセレクション16「国鉄の客車」の戦災復旧車の章でも台枠からの判定(UF30)で、「サハ48011と思われる」という表現になっています。
 裾の形態はマニ72型も同様で「我が心の飯田線掲示板」でも話の中心となったところです。

原口さん、
なるほどこの車体裾は、昭和5年以前のモハ30~32系列独特の形状ですね。まあそれにしても他に種車のサハ48011が垣間見える箇所はほとんど見当たらず、つくづく変ちくりんな車両ですね。

なにわさん、
客車の70番はややこし過ぎてさっぱりわからんです。救援になる前のハユニ時代に目撃していれば興味も沸いたんでしょうが。。。
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模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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