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113系 快速 西明石行き

デカ目非冷房10連っちゅう、
0ec113_198402b_0067.jpg写欲をそそるやつ。84年4月。

こうやって久しぶりに湘南色の113系の写真を見ると、
0ec113_198404b_0015.jpgなかなかどうして、実にカッコよろしい。

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テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

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でも、夏場は苦しい、特に京都~米原は。
この頃は18きっぷでなくても新幹線を使う気はしなかったし。
今なら37でコーヒーでも飲んでるんだろうけど

なつかしいデカ目

冷房化がけっこう進んだこの時期でも、オール非冷房+オールグロベンの編成があったのですね。初期車といえば、モハ113-1+モハ112-1のユニットには、関西線色の時代から、5000番台に改造された晩年までずいぶん乗りました(冷房改造はけっこう早かったですが)。クハ111-301も関西線色のときによく乗りました。今となっては思い出ですね

上の写真のクハ111は一番前のベンチレーターが箱形ですが、下の写真は全てグローブベンチレーターで、こちらがより古い製造ロットです。113系丸窓車のベンチレーターの変化は全てグローブベンチレーターから、クハ111の一番前のベンチレーターが箱形に変化、そして1000番台初期および0番台丸窓末期に押し込みベンチレーターに変わっています。

助士席側のワイパーは先に話題になった手動のワイパーです。手動のワイパーとともに、窓下に板状の通風器があるのが注目されます。
浜松工場では旧型国電(飯田線の戦前型、神領電車区、大垣電車区の70系、80系)の前面の通風器を徹底的に埋め込んでいるのが知られていますが、113系も通風器を埋め込んでいたことが確認できました。配給電車さんのところの「昔の写真から その029」にするがシャトルの111系、113系初期型の写真があるのですが、非冷房車にもかかわらず前面窓下の通風器が消えています。また、助士席側ワイパーをダブルアームのものに交換している車が見つかりました。

>にしもとさん
モハ113,112-1(5001)のユニットは私も何度か出会っています。1990年代に青春18きぷや業務で何度か関西を訪れているのですが、MM'113,112-5001, 5002を組み込んだ編成(番号は確か5311-5001-5001-7018-5002-5002-5021)に出会う確率が高く、訪問回数の割には目にすることが多かった印象があります。

この直前に組み換えがありまして

高槻は700番台以外は8連(5号車は300台クハの封じ込め)、宮原は4連+4連、網干は6連と4連に組み替えたのです。高槻に他に4連3本ありますが、これは網干の検査入場予備でした。
高槻は全車冷房車、宮原もほとんどが冷房車なのに、網干は非冷房車が過半数を占めていました。
更に古いロット、113系の先行投入車のクハです。4両組に入っているので、84年の配置表から類推すると、クハ111-46と思われます。
ところで、89年春、221系一次車の投入で関西線快速用113系、特に冷房車が網干へ転出し、本線快速に用いられてます。1,2もその仲間であります。

なにわさん、
実際夏場にオール非冷房が来た時の絶望感といったらなかったですね。混ざってる編成もしばしばあったので、ホームを数両分走って冷房車に駆け込んだ、なんてこともよくやりました。おっと、この写真で車番が特定できますか、さすが!

にしもとさん、
非冷房の10連、写真の84年はまだちらほら見かけました。86年になると、極端に見かける機会が減って、ワンカットしか撮ってません。

原口さん、
ベンチレーターに、ワイパー、通風口と、113系もあれこれチェックポイントがあるんですね。消えてからそのカッコ良さに気付くのはいつものことですが、現在の西日本のように前面に車番が表示されていれば潰し甲斐があってせっせと撮っただろうと思います。
プロフィール

18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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