DD51 726 米子機関区

84年7月の益田駅にて、726番。
0510726_19840730_0022.jpg赤ナンバーにスノープロウ付きの、ちょっとした異色機です。蒸機の門デフ+スノープロウがアレ?って感じなのに似た違和感がありますよね。

写真の数ヶ月前に鳥栖区から転属したばかりで、59.2でのカモレ減によるものでしょうか、同時期に数機が九州から転属してきています。亀山からの転属もあって米子のDD51は、58.3の66両から、59.3には80両という、ただならぬ大所帯になってるんですね。運用が増えたとも考えにくく、2桁若番の置き換え、というのが順当な気がしていますが、2桁は85年にも運用に就いているのが確認されていますので(86年には完全に消えていた)、あくまで想像の域を出ません。米子が足りなかった、というより、九州が余ってしょうがなかったのかな、とも思うわけです。

そうして転属してきた700番代の赤ナンバー機ですが、転属から3年後の分割民営化では一両も残らず、全機廃車となったのでした。


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本の中でしか見たことの無かった、赤ナンバーのDD51が突如として山陰線に現れたときは嬉しかったですね!たしか、ごく短期間ですがHMをつけて出雲の先頭にも立っていたと思います。九州でもデビュー当初は白ナンバーだったのに、どうして赤ナンバーになったのでしょう??

米子のDD51、794番あたりは磐越西線に転じて、JR化後も生き延びていました。撮影旅行で再会したのも懐かしい思い出です。

鳥栖機関区のDD51

鳥栖機関区のDD51は長崎本線系統の寝台特急の牽引運用があり、昭和51年の長崎本線、佐世保線電化後も若干の運用が残っていました。55-10時点では筑豊本線に入る「あかつき」の他、確か上り「みずほ」がDD51牽引でした。
九州のDD51は全体的な貨物列車の減便の他、筑豊本線系統の炭鉱の閉山による運炭列車の減少の影響を受けたはずで、長崎本線、佐世保線電化と、昭和54年の日豊本線末端区間電化が重なり、他の形式とともに昭和50年代後半のかなり早い時期から余剰が発生していたはずです。

726号機ですが、HP「懐かしの日本国有鉄道」に鳥栖時代の写真(1982年10月21日撮影、枝光―八幡間)がありました。

九州のDD51

長崎線電化で捻出されたカマは、山陰へ転出してDD54を置き換えたんじゃないでしょうか。さらに寒地型が玉突きで北海道へ行って、追分の火災での廃車補充車になったのでは。
それから日豊線全線電化で捻出されたのはDF50なんじゃないでしょうか

>なにわさん

長崎、佐世保線電化と追分機関区火災の時期が近いこと、ご指摘で気づきました。DD54の方は「DD54取り替え」の件名で製造されたDD51がいたのは知ってはいたのですが、取り替えは長崎、佐世保線電化前の50-3改正頃に完了したと思っていました。
日報線電化の方は確かに取り替えはDF50で、「富士」「彗星」の牽引はDF50からED76への交代だったことを思い出しました。
手元に「国鉄車両配置表」の1980年版があるのですが、DD51は意外と少なく、DE10が多数派で、筑豊の支線区の運用が多かったようです。

さださん、
赤ナンは亀山にも少々いましたが、米子に入ってプロウを付けた姿は「おぉー!」って感じでした。正面の白帯省略化は、実際よく理由がわからんですね。

原口さん、
そうですね、「みずほ」も長崎・佐世保電化以降、DD51区間がありましたよね。まさにコロタン文庫時代であります。九州のDD51はご指摘の通り北部に集中していて、最南端は熊本のようです(熊本は昭和46年度からの配置で、昭和55年度に全車が転出しています。ハテ、何線の仕業を持っていたのやら、肥薩線あたりでしょうか・・・)。

なにわさん、
このあたり番号と年次を追いかける元気はないのですが、時期的に転入してきたDD51によって置き換えられたのは、米子のDF50のような気がします。
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模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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