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475系 急行 「立山」

小学校6年の夏休み、朝早くから有名なカーブに向かいました。
どアンダーのカットを激しく修正したんで写真が美しくないですが、被写体は国鉄の美しさに溢れてますね。

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テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

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クモハ475の車号同定

急行「立山」ですが、先頭の車はAU12クーラーがわかるので、AU12冷房準備で落成したクモハ475-49~51と分かります。
 北陸地区の急行型電車独特の改造の1つは屋根に2つ並んだ箱型通風機の片方撤去で、これはMGの冷却風道になっている方を融雪水侵入防止対策で風の取入れを室内一本にしたことによるものです。もう1つは列車種別灯の埋め込みでトンネル内に氷柱が下がり、種別灯の破損が頻発したため、当て板を付けて塞いだものです。写真の車はこの工事が両方ともおこなわれていることがわかります。
 JRRの「国鉄車両シリーズ2 交直流急行型電車」に1982年11月30日時点の交直流急行型電車の各種データがまとめられているのですが、この中に金沢運転所の車の通風機撤去、運行灯埋め込みの工事日時も記載されています。それによると、通風機撤去は昭和53年から54年にかけて行われており、写真の時期には工事が完了していましたが、運行灯埋め込みは工事の過渡期で、クモハ475-49は昭和56年2月3日、51は同8月12日に工事され、50は未施工でした。さらに、前面窓の熱線ガラス化(デフロスターの撤去)が始まっていました。写真の車は隣のクハ103がデフロスターが写っているのに対して明らかにデフロスターが認められません。熱線ガラス化はクモハ475-49が昭和56年2月3日に受けていますが、50,51は当時未施工でした。このため、写真の車はクモハ475-49に決定します。

緩行線の103系、行き先表示が「普通」のときと「西明石」のときとありましたが、いったいどういう基準だったんでしょうねぇ。

>さださん

正面の方向幕ですが、原型は回転が手動で、確かATC車登場の頃から自動になりました。このため、方向幕自働化以前の車では方向幕転換の作業簡略化のために両側行き先表示(「石巻ー仙台」「湊町ー奈良」等のもの)がよく使われました。
京阪神緩行線は昭和50年代後半が過渡期のようで、以前の18201さんの写真でも同時期に「普通」表示と行き先表示が行われていることが確認できます。これについては、冷房化の進行等で電動の方向幕の整備が進み、整備が完了した編成から順次行き先表示を始めたのではないか、と考えています。
なお、山手線や京浜東北線で見られた中間に非冷房車を挟んだ編成の方向幕の操作ですが、前納さんの話では、クモハ103型、クハ103型の前面にぶら下がっているジャンパケーブルのうち、何線かは使用していないものであるが、前後の引き通しだけは行われており、この線を利用する形で非冷房車をまたぎ超して方向幕転換の信号を送ることができる、とのことです。

方向幕

非冷房車なら「普通」、冷房車は行き先表示を出すか、「普通」のままで走っていました。国鉄時代の方向幕の変換は駅の担当だったので。
475系の番号はわからんですよ。空欄は未改造の場合と、詳細不明のケースがありそうです。
表紙に出てくるクハ451、この段階でシールドビームで方向幕に鉄板をかぶせ改造されているのは30、31、36、37なんですが、この4両、1981年中に全てデフロスタ撤去してるんですよ。

ブタ鼻の103系非冷房車

103系は、ユニット窓の非冷房車ということになります。冬期、ツララでの破損が怖くて鉄板で表示窓を塞がれた「立山」、このころは、新快速電車も内側線運転だったな・・・快速も昼は京都-大阪間は34分(停車駅が少なかった)。ずいぶん変わったものです。

103系方向幕
>原口さま
いわゆる「キセル編成」(先頭と最後尾以外全部非冷房車)でも自動で方向幕を動かせたと思ってよろしいのですね
片町線の103系は、分散形クーラー改造のクモハ103、クハ103に、側面も含め、自動方向幕が装備された、JR西日本では珍しい例だったと思います(西日本の103系分散形クーラー改造車は大多数が正面方向幕は手動のままで、側面には方向幕はつかなかった)
3+4の分割編成ができたときは、分割部の引き通しは、密着連結器下の電気連結器に頼っていましたが、前後の編成で行先が違うこともあり、方向幕の編成全体での一斉制御はしませんでした。従って、両方の運転台から方向幕の指令を出していました
木津まで電化が完成した当初、一部の編成には幻の行先「松井」の表示が用意してありました(もちろん使われませんでしたが、方向幕が動いているときに見ることができました。写真に撮っておけばよかった)

>なにわさん

こちらでもクハ451-30,31,36,37の謎が確認できました。
撮影時期(1982年2月3日)のミスで1981年2月のことかも、と思ったのですが、種別幕の埋め込みは記載によると1981年夏からなので、書籍のデータの時期から、写真は1981~82年の冬の撮影に限定されるので、確かに記載の無い車がなぜ記載がないのか、が問題になりそうです。
写真の475系の方も、”「交直流急行型電車」の記載によれば”、という条件付になりそうで、昭和57年になってからの工事の記載が少なく、データをまとめるまでに情報が間に合わなかった車が存在しそうで、写真の時期が疑惑の車が出る微妙な時期のようです。

>にしもとさん
方向幕ですが、ご指摘の通り、キセル編成でも方向幕の遠隔操作は可能だったと考えられます。
方向幕の操作にまつわる余談ですが、なにわさんの話の方向幕の変換が駅の担当だったのは、旧型国電時代の前面のサボにまでさかのぼります。前面にささっていたりぶら下がっているサボは元々は駅の備品で、片隅に小さく駅の略号や電車区が書き込まれています。

ついでにクハ451のシールドビーム改造日です

20・・・未改造のまま仙台転出
32・・・84年 2月21日
33・・・83年12月 3日
34・・・82年 8月26日
35・・・83年 6月16日
38・・・82年 9月18日
39・・・83年12月 1日
40・・・82年 7月15日
先の4両以外は未改造なんですよ、何年の編成表を持ってられます?
82年1月14日は489系「立山6号」の他にも色々あったようで。

>なにわさん

編成表は国鉄時代のものは78年、85年と57-11改正号で、まとまって持っているのはJR以降が主です。他に57,58年の上野駅発着関係の優等列車と115系の編成表を旧交通博物館で書き写しているのですが、金沢運転所は489系は書き写しているのですが、475系までは手を広げていませんでした。
資料関係では「交直流急行型電車」のほか、JR電車編成表の1993年冬号を持っています。
話がずれますが、この号の急行型電車の改造項目では「静岡運転所のクハ165-165のシールドビーム改造の謎」があり、’62年1月16日に長野工場で特別保全工事とともにシールドビーム改造を受けたことになっているのに対し、現車は未改造の原型ライトだった、という話があります。

86年以前の編成表

78年の復刻版の他は、81年(まだサハシ165が編成に入っていたので)、84年(まだ編成がまともだったので)と、85年版別冊(実際は85年3月改正号)だけです。
本来は、車歴表目当てで買ったんですが、編成データを調べるのに、85年3月13日の上野駅での編成表に重宝しております。大阪駅の583系雷鳥と白鳥、天王寺駅での485系くろしおがあります。
82年11月改正表の内容はいかなるものだったのでしょうか。
11月14日の上野、改正前後の大阪での寝台特急はファン83年2~3月号に一部はありますが。

編成表57-11改正号

57-11改正編成表ですが、基本的に改正前日と当日の優等列車の編成がまとめられています。新幹線開業で大きな動きのあった上野口の優等列車のほか、東北本線系統は東北新幹線先行開業の6月22日、23日の編成、改正で他に大きな動きのあった北陸本線の特急、九州の特急もまとめられています。改正前日は移り変わり運用のためにh年生が大きく変わっていることもあるので、一部地域ではさらに前日の11月13日の編成も掲載されています。
編成表は今は奥にしまわれていて取り出しにくいのですが、覚えている限りで内容を書き出すと、上野口の客車急行は尾久客車区持ちの10系寝台車は改正を待たずに検査切れが続発したのか、「妙高」「津軽」ともに寝台車の連結がオハネフ12型1両だけになっていました。「能登」は11月13日から移り変わり運用で14系寝台車に変わっており、短い間でしたが、14系客車+スニ41の編成が実現していました。「鳥海」は14日の上り列車は翌日の「出羽」送り込みのため、24系客車で運転されました。高崎線客車ローカルの最終日の上り列車は115系11連の代走で「9326M」としての運転でした。急行「立山」は14日は1本は583系に差し替えられ、確か5号は金沢で車両振替(475系10連から6連へ)されました。「金星」は一足先に11月12日が最終運転でした。

クハ165-165

スレッドが大変活発に伸びていますね。
原口さんの書き込みに登場したクハ165-165ですが、最後は静岡運転所の富士川編成(F5編成)に入っていた車ですね。
現車は最後まで原型ライトでした。
貴重な写真がとれいん誌の165系特集に載っていました。
何号かは覚えていないのでどうしようもない情報なのですが、富士川が特急化された直後くらいに165系の編成の詳細をまとめた号で、モノクロ写真ですが、当車の写真が確かにあります。
こうした履歴の誤りは孫引きされると痛いですね。

14系の「能登」+11月14日の「立山」「ゆのくに」

ファン83年2月号によりますと、10日の夜に14系を回送してますので、11日は下りが10系寝台車+旧型客車、上りが14系になっています。14日相互発は能登51・52号と言う扱いになってます。

立山1号は知らないのですが、上りゆのくに~立山3号は通常の10両と言いたいところですが、5号車にクハ451かクハ455が入っていました。ただし、改正以前から入っていたようです。「関西国電50年」の巻頭口絵の「立山」にも入っています。
立山2号は~下りゆのくには見た記憶が無いです。マクロスを見に帰宅したのかもしれません。
立山4号は、富山で宇奈月編成を増結した写真が載っていますが、私家版書籍だと6両だったという記録もあります。金沢で車両交換したかもしれません。
この折り返しでなく、立山5号は583系なんですよ。
そして立山6号は金沢まで475系、金沢で489系に車両交換されてます。折り返し、新潟行の「雷鳥」3号に充当されました。

最終日の立山3号など

久しぶりに更新したので3本ほど貼っておきます。82年11月は1枚だけですが。
http://9mmandplarail.blog27.fc2.com/blog-entry-69.html
もしよろしければ見てください。
そうそう、205系の写真の中に、「普通」表示がありました。方向幕に無い行き先、突発的事態の時に、JRになっても使っていました。
95年1月20日撮影ってところでお察し下さい。

弊ブログのコメント数記録更新、って感じですが、皆様いろんな視点からのコメントをありがとうございます。例によって内容があまりにディープで、ワタクシから特に申し上げることもないわけですが(笑)、先日拝見したブログで(ごめんなさい、どちら様のものだったか全く記憶がないのです)、103系の「普通」表記は茶色の旧国の置き換えに投入された折、あまりの違いに「快速」に違いない、と乗るのを見送った乗客が少なからずいたため、という説明がありました。なかなか愉快なエピソードですね!
プロフィール

18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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