FC2ブログ

1982年夏 485系 「白鳥」

小6の夏休み、山崎のカーブへは2回訪れたんだと思います。一回目は7月24日、
0ec485h_1982c_0017.jpg

二回目は8月15日じゃなかったかなぁ、
0ec485h_198207.jpgと思うのですが、日にちはデタラメかも。

「白鳥」と言えば300番代非貫通のイメージ、って話を前にしましたが、そういや1500番代もちらほらありましたね。これこそ「アタリ」な感じがして嬉しかったです。


にほんブログ村 鉄道ブログへ
スポンサーサイト



テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

コメントの投稿

非公開コメント

カマボコ型の連結器カバー

両写真とも連結器にカマボコ型の連結器カバーが付いていることに注目しました。
このタイプの連結器カバーは昭和50年代までのボンネット型以外の特急型電車には必ず付いており、前面のアクセントになっていたのですが、いつしか使われなくなり、JRになってからは角錐型の連結器カバーに変わっています。このため、カマボコ型の連結器カバーは国鉄時代の特急電車の必須アイテムのような感じになっています。模型パーツでは銀河モデルのN-094がこのタイプの連結器カバーです。

後ろの車を見ると、モハ484型のAU71クーラー横のランボードが、上の写真でランボードが見える3両と、下の写真でランボードが見える車のうち、中央の車以外の車は横にも板を貼っている形態、下の写真の中央の車は板を貼ってなく、足が見える形態であることに気づきました。200番台、600番台は板を貼っていない形態で、1000番台も前期型は板を貼ってなく、後期型(確か昭和53年度投入の1025以降)から板を貼っています。このため、写真の編成は中間のMM'ユニットの大部分が1000番台の後期型とわかります。
一方、下の写真のクハ481型ですが、スカートのジャンパ栓受けが左右対称に付いていることがわかります。クハ481型1000番台は片渡りになっていて、ジャンパ栓受けのレイアウトが非対称になっています。このため、写真の車は300番台の先頭車とわかります。

青森、秋田のシンボルですね

仙台や豪雪の中を走る金沢や向日町は装備してませんでした。
それと、1000番台前期型は全て秋田ですからね。一方、青森は200番台を78年秋以降、次々と他区に放出してるので、ほとんどいないはずです。
この時期は東北新幹線のみの開業で変則運用時ですよね。

青森の車が来ているのに撮影にすら行ってないと当時の私はなんと面倒くさがりだったのでしょうか。ま、カネがないってのもありましたが。

>なにわさん

485系1000番台について、前期型は全て秋田配属であること、確認できました。
青森運転所の485系の編成ですが、1982年4月の時点ではそれなりな数の200番台MM'がいましたが、写真の時点では東北新幹線暫定開業後なので、485系の西日本への大移動が始まっているはずです。1983年には1000番台が多数派になっているので写真の時期は車両構成が1000番台中心に移行する過渡期ということになります。

細部形態について追加すると、1500番台の外付け式のテールライトがわかります。また、下の写真のサロ481がキノコ型クーラーの前期型であることに気づきました。

出戻りのクハ481-1500

よく見ると上の写真は屋根上のライトが2灯なのでクハの1500番台ですね。北海道に渡る前(にも暫定で「白鳥」に運用されていましたが)は尾灯の外ばめ改造はされていませんでした。電車化当初はボンネットの先頭車も使われ、サロ2両入りの13両専用編成で風格がありましたが、このころはサロ1両の12両編成ですね。まだサシ入りで特急としての風格があります
ところで、この頃は、特急用電車の屋根の色はねずみ色(というのは規定と新製時だけで、実際には黒に近い濃いグレーが塗られていた)だったはずですが、上の写真の最後尾のクハと下の写真の先頭のクハは屋根が銀色です。この頃は盛アオの特急車はほぼ例外なく屋根が濃いグレー、仙センの特急車は時々屋根が銀色だったように覚えているのですが、詳しい経緯ご存知の方いらっしゃいませんか
「白鳥」は、私はむしろキハ80系の方に思い入れがあります。乗ったときはキロ2両入りの分割なしで13両編成でした。今は特急が止まらない動橋に停車したり、キシ80で食事したのも思い出です。何で停車駅が「雷鳥」「北越」より少ないのに遅いんだ?と不思議に感じたものです(今は理由はわかります)

>にしもとさん

特急型電車の屋根ですが。53-10改正の時に銀色から灰色へ塗装の規定が変わったと聞いたことがあります。KATOから489系「白山」ボンネット車セットが発売された時、屋根がねずみ色1号に塗装されていたのですが、53-10以前の6M6Tの12両編成で、この編成と灰色の屋根が両立しうるかどうか微妙な時期だったのでこの話を覚えていました。
青森と仙台の車両で屋根の塗装が異なるのは入場工場が異なる可能性があります。仙台の車は確か入場は郡山工場で、青森の車は土崎工場だった可能性があり、工場によるスタンスの違いの可能性が考えられます。

青森485系のAU12搭載車

72年10月改正に合わせて投入したんですが、途中で200番台に変わるので、モハ19ユニット、クハ10両、サロ6両、サシ5両(他に仙台から1両転入)が投入されています。
先頭車を200番台で揃えたかったのか、それとも向日町をボンネットで揃えたかったのかわかりませんが、クハは翌年1月までに全て向日町へ転出してゆきます。
定期でクハの100番台が青森に来るのはこの後85年3月までありません。サロは82年6月から転出が始まり、この段階では45.50,51の3両しか残っていませんでした。
200番台が転出したのに0台モハが残ったのは業務用室があるからでしょうか。
一方、78年以降投入された1000番台のクハ(捻出された200番台は仙台や金沢に行くわけですが)は、82年11月改正直前に1013を残して、皆秋田へ転出するのです。

それと、青森の入場は盛岡工場だったはずです。

原口さん、なにわさん、にしもとさん、
毎度ディープなコメントをありがとうございます。この世界は嗜好が極めて細分化されているとはいえ、当時はクハの顔以外の形式区分や所属区、移動といったことには全く興味がなく、30年以上前の写真からアレコレと渋いネタ振りができる皆様にはもうタジタジです。カマボコ型の連結器カバーは、しっかりNゲージのパーツがあるんですね。ただワタシが知らないだけかもしれませんが、往年の特急電車に凝り凝りの方ってあまりいらっしゃらない気がします。屋根色は、てっきり銀が当たり前で、そう見えないのは汚れてるから、ぐらいに思ってましたが、アホ過ぎですね。クハの1000番台は関西には来ないもんだと思ってましたが、知識の習得が小学校高学年で止まってしまったようであります。。。
プロフィール

18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

FC2カウンター
最近のコメント
旧国系リンク
N工作系リンク
カテゴリー
月別アーカイブ
工作用 別カテゴリー

インレタ ウェザリング 塗装関連 工具 パーツ 

ブログ内検索
RSSフィード