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帯の変化
少し前に紹介の1986年の臨時「明星」の時点では20系客車の帯が3本だったのが、1年後のこの写真では帯が2本になっていることに気づきました。
東日本では60-3改正で廃止になる直前の寝台急行「天の川」のRJ誌のルポ(確か1984年夏)で帯の2本化が進んでいて、2本帯と3本帯の車が混じっていることが報告されていましたが、帯の2本化が積極施行されたのは意外と遅かったのかもしれず、RP誌の20系特集(05-7号)でも「さんべ」用20系1000番台(59-2改正で廃止)が最後まで3本帯だったり、JR以降直前に廃車になった東日本の車に3本帯を残していた車が見つかっています。
東日本では60-3改正で廃止になる直前の寝台急行「天の川」のRJ誌のルポ(確か1984年夏)で帯の2本化が進んでいて、2本帯と3本帯の車が混じっていることが報告されていましたが、帯の2本化が積極施行されたのは意外と遅かったのかもしれず、RP誌の20系特集(05-7号)でも「さんべ」用20系1000番台(59-2改正で廃止)が最後まで3本帯だったり、JR以降直前に廃車になった東日本の車に3本帯を残していた車が見つかっています。
原口さん、
写真の87年の時点では二本帯化がかなり進行してたか、三本帯はほとんど存在してなかったのでは、と思います。86年は混在していて、「ちくま」は全て二本帯化、「だいせん」のナハネフ22は全車最後まで三本帯だった印象です。
写真の87年の時点では二本帯化がかなり進行してたか、三本帯はほとんど存在してなかったのでは、と思います。86年は混在していて、「ちくま」は全て二本帯化、「だいせん」のナハネフ22は全車最後まで三本帯だった印象です。