亀山の752番が、

柘植-京都を往復している50系客車を牽いて加太を下り亀山へ帰る、の図。84年1月16日。思えばなんだか無駄なことが延々行われていたわけで。ちょっと調べてみましたが、いつまであったんでしょう? 86/10まであったのは確かなんですが。
752番は、81年度に熊本から転属してきたので、ナンバーが赤いまま、ってことでしょう。この直後に吹田へ移り、2年ぐらいいたのか、その後86.3の配置は米子、87.3にはJRへ移行せず廃車となっています。
741~751の84.3.31の配置は以下。
五稜郭:741-745,747,748
稲沢第一:746,749-751
745は以前にアップ済ですね。
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まだ2本ありました。ってことは88年3月まではあったのではないでしょうか。
朝、京都駅の改札から7番線で留置されているのが、素通しで見れました。
その前は6番線に「ちくま」と客車の並びがありました。
8月18日の天理臨のも関連するのですが、天理臨では「加太越えをするキハ80系」が有名でした。「くろしお」がキハ80系だったころ、間合い運用で関西本線経由の名古屋―天王寺間特急「あすか」があったのですが、短期間で廃止になっており、関西本線亀山以西は特急とは縁の無い区間となって今に至っているのですが、その中でキハ80系の天理臨は特急型車両が加太越えをする珍しい機会として注目されていました。
草津線の客車列車では、50系になる前はオハ41型で列車が構成されており、元スロ51,52,53形のオハ41型が茶色にアルミサッシの組み合わせて長い編成を組んでいた、という話を聞いたことがあります。
88年6月の時刻表にはまだあります。
89年の配置表には向日町に50系客車がおり、90年の配置表にはオハフ50のみがいることから、90年3月に消えたのではないでしょうか。
その割には記憶が無いのですが。
なにわさん、
草津線客レ引退時期の調査、ありがとうございます。あらためてググってみましたが、当時の注目度も低かったかしてヒットしませんわ。客扱い全線電化区間というのも撮り鉄的にポイントが低かったのかもしれません。
原口さん、
天理臨のキハ80系加太越えは、「くろしお」がDCだった時代まで、ですかね。だったらいいんですが、自分がテツしてた時代にあったのなら撮りたかったな、と微妙な後悔の念が沸く、ソソる被写体ですね。草津線客レの旧客時代もググってみましたが、こちらも簡単には画像が見当たりませんでした。。。
天理臨で加太越えをしたキハ80系ですが、昭和50年代後半も見られており、名古屋第一機関区の「ひだ」「南紀」用キハ80系が加太越えをしていたようです。この運用ですが、JRになってからも見られたようです。
加太越えではもう1つ、京都方面からの伊勢神宮臨もありました。最近では「はまかぜ」用のキハ181系を使った修学旅行臨が加太越えをしていましたが、伊勢神宮臨も結構昔からあったはずなので、結構いろいろな車が使われていたと思われ、もしかしたら向日町のキハ80系が伊勢神宮臨に使われたことがあったかもしれません。
原口さん、
おー、そうですか、それは撮ってみたかったですねー。写真を見たことが無い気がしますが、撮り鉄はカマ屋が多かったので、記録は少ないかもしれませんねぇ。向日町のキハ80系による伊勢神宮臨もあったかもしれませんが、ワタシが撮れる時代ではないので気になりません(笑)。