1年前に
同じような写真をアップしておりますが、

前のは保津峡駅9:00発の323レ、こちらは9:40発の833レで、40分後に続行して来るのはありがたいかったのですが、撮影場所を変えにくいっていうデメリットもありました。
スポンサーサイト
テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用
12系1000番台の普通列車は4両編成か、2両増結した6両編成が一般的だったというイメージがあり、0番台との混成ではありますが、12系1000番台の長大編成は珍しいように感じます。
東北方面の客車ローカルは50系は割と遅くまで長大編成が見られたのですが、こちらも12系2000番台は4両編成での運用が多く、増結をしたという印象が薄いです。
お久しぶりです。
ちょうど、12系1000番台を作製していますので参考になります。
1986年11月の客車運用表で見ると、323レは福知山50系の7+2でこの833レは同じく福知山の12系の5+2+1のようですね。
いろいろ12系1000番台の写真を探しているのですが、全車が1000番台の写真は見たことが無く、混成ばかりだったのかと思っています。
>知佳さん
5+2+1の運用とのことで、電気を他車に供給する方式の12系にしてはずいぶん細切れの運用単位で、特に1両の運用があるのが変わっていると思いました。写真をよく見ると、前から2両目と4両目が屋根の端にスポット上の黒ずみが見え、おそらくこれがディーゼルの排気管でスハフ12と思われます。そして、2両目の車の前にさらにオハフ13が連結されており、これが「1」の運用で、2両目と3両目が「2」、その後ろに続く車が「5」に相当すると確認できました。
0番台との混成は、以前に18201さんが紹介した12系1000番台の普通列車でも例が多く、0番台と1000番台の運用をあまり区分していなかったらしい、という話を伺いました。
通学で乗っていた頃、京都駅のホームを歩きながら0番台を選んで乗っていたのを懐かしく思い出します。山陰線京都口の12系ですが、複線化後の1年間ほど、わずかに残った客レはオール1000番台だったように思います。
ご参考までに、こんな記事もありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13118762203
複線化後はオール1000番の9両編成で向日町所属だったと思います。