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クモハ471-1 

車番は当時のメモ頼りですが、
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クモハ471-1。87年3月10日。福井駅ですね。

ドア開放はやっぱりイヤだったみたいで、閉まってからのも、
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一枚撮ってました。

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テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

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例によって

何時頃の撮影でしょうか。
向きからすると逆光なので、天気があまり良くなかったのでしょうか。
ドアを開けてたのは、サボの交換や車内清掃のためでしょう。サボがはっきりしませんが、二文字と二文字なので、金沢行か富山行のような気がします。
ところで、この日は火曜日ですが、学校は大丈夫だったの?

ジャンパケーブルが2本しかぶら下がっていないのが471系の電気的な特徴ですね(451, 453, 473系も)。
後ろのモハ470を見ると、本来パンタ横の屋根の肩の部分通風グリルがあるはず(455, 475系の冷房準備車まで)なのですが、埋められていることがわかります。実は最近、「その後の富山港線」と銘打って北陸色の475系の製作を始めたのですが、資料収集でこの部分に気づきました。この部分のグリルは他の地区の車では最末期まで残していた車が多いのですが、北陸の車は昭和50年代後半、まだ急行「立山」「ゆのくに」が残っていたころからグリルの埋め込みが始まっていることがわかりました。TOMIXでは、旧北陸色の製品も非冷房車からの冷房改造車のモハ474型のグリルの埋め込みが表現されており、KATOでは最近発売の北陸色の製品でも同様にグリルが埋め込みになっています。(ラウンドハウスブランドの旧製品ではモハ456形のため、最初からグリルは無し)

モハの通風グリル

見返してみると、78年位には存在してるものが、まだ急行運用のあった82年にはほとんど消えてますね。おそらく、クモハのMG通風器の片側を撤去したのと同時じゃないでしょうか。
それと、金沢の車は全車475系・457系であっても、ユニットを越えてケーブルを3本通すことはありません。あくまでも抑速ブレーキがない状態で運転しています。
ただ、地鉄乗り入れ編成は3両きっちりとつないでいたそうですし、後年、本線上で3両編成の運転時には、こっそり使ったことはあるそうです。
プロフィール

18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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