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EF66 32 吹田区・下関区

またもご無沙汰してしまいました。一度ついたサボリ癖はなかなか治らんようで恐縮です。夏休み中ですが、鉄分ゼロ状態でどうにか存命中です。四十肩がツライです。

六六32。
06632_198401b_5051.jpg
84年1月5051レ。当時この場所でこの列車をよく撮ってるのは、浜松のゴハチが牽く荷2031レの30分ぐらい後に来たからだと思います。

84年2月。
06632_198402b_0057.jpg
これは普通のコンテナ。

84年5月、5050レ。
06632_198405p_5050.jpg
フィルムはコダクローム64。

86年10月25日、1062レ。
06632_19861025_1062.jpg
ヒデエ写真だな。

87年8月。
06632_198708_0035.jpg
これ関ヶ原の下り線の奥です。パンタが見えんぐらいペタンコ。

91年10月。
06632_199110_0012.jpg
すんごい撮り方してますが。あのクーラーって、もっと後の改造かと思ってましたが、既に25年近い歴史があるとは驚きました。

今年の1月に廃車になったようであります。

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テーマ : 鉄道写真
ジャンル : 趣味・実用

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東海道筋鮮魚列車の変化

写真の鮮魚列車ですが、昭和50年ごろに大きな変化が起きています。
地理学の学術雑誌である「地理学評論」収録の論文に下関の漁業協同組合の活動と下関漁港の水揚げ量と国鉄貨物列車による発送量との関係を考察したものがありました。鉄道博物館のレムフ10000形の解説にあるように、東海道筋の鮮魚列車の発送駅は下関が主だったのですが、昭和50年頃にもっと遠方の九州を発送駅とする列車の割合が多くなる変化が起きました。この変化が下関の漁業に大きな影響を与えており、下関発の鮮魚列車の減少が漁協の活動環境の悪化につながり、昭和50年代後半に当時2つあった下関の漁協の片方が閉鎖されるという事態になりました。現在の下関の漁業は唐戸の方が観光地として盛業中ですが、下関駅西側の方は設備の規模に対して静かな状況です。
下関発の鮮魚列車が華やかだったころの名残は現在の下関駅周辺に見ることができます。駅の西側に漁港があり、倉庫に直結するプラットホームが今でも残っています。さらに、漁港への引き込み線が下関駅の南の本線東側の下関貨物駅から南の彦島瀬戸に接して下関運転所を大回りして漁港へつながっているのが廃線跡として確認できます。

原口さん、
この他愛のないブログに地理学の学術雑誌が引用されるとは驚きました。模型の方のオールマイティぶりもそうですが、裾野の広がり具合が半端ないですね。下関といえば、小3頃の家族旅行で、続々西下するヘッドマーク付きの九州ブルトレ(当時PF)に心躍らせた思い出の土地です。地形のせいもあってか、独特の雰囲気を持つ町ですよね。
プロフィール

18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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