さよなら 485系

485の原色、今日でさよなら、なんですね。
最後に「ひばり」に「つばさ」なんて、なかなか粋じゃないっすか。
東北の特急にはご縁がなかったワタシでも撮りたい!って思いますもん、遠いんで実際は行きませんけど。

写真は2013年の11月、磐西のついでに福島の人さんと撮った「あいづ」。
0ec485_20131117_0030.jpg
この場所も結構なテツの方が集まっていました。

はなむけにもう一枚。
0ec485h_198301.jpg
83年の冬の「白鳥」です。食堂車にグリーン車2両、12連のゴールデン編成で、特急電車が最も華やかな時代だったかもしれません。

485系、やっぱりバラしてしまうんですかね? 電車の保守は簡単じゃないのかもしれませんが、ほんと動態保存って、出来ないもんですかねぇ。

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57-11~60-3の間の「白鳥3・2号」

53-10改正以降60-3改正までの間の「白鳥」の編成は上野口特急と同じグリーン車1両、食堂車1両を組み込んだ12両編成で、グリーン車が2両だったのは47-10改正の日本海縦貫線全線電化完了から53-10改正までの間です。また、57-11改正から60-3改正の間は福井―青森間の「白鳥1・4号」があったため、12両編成で大阪―青森間を走っていたのは「白鳥3・2号」の方になります。

失礼しました

原口さん、
間違いだらけのブログの訂正、いつもありがとうございます。5両目の側窓が多い気がして、6両目とともにサロかと思ったのですが、それだとモハ・モハのユニットが成立しなくなってしまいますね(笑)。

さよなら485

こん時も一緒だったねー。あと最終の磐西も行ってきましたよ。
どこもかしこも人が多過ぎで、感傷に浸る間も無く終了。
ただ5月の多客臨で息子とふたりで乗れたのはいい思い出です。
それ以前に自分が小学6年の時、転校で平から大阪へ行く時に乗ったのも485
ひたちでした。クラス全員でホームまで見送りして貰いました。見知らぬ土地へと行く不安と寂しさで胸がいっぱいだったのを昨日の事のように覚えています。
ブルトレと共に国鉄の象徴だった485が引退でひとつの時代の終りなんでしょうね、

No title

福島の人さん、
そっかー、思い出の車両でしたかー。熱心に撮ってた理由がわかったよ(笑)。確かに特急列車といえば485やったもんなー、そう言われると急に寂しくなってきたし。「あいづ」は冷やかし半分やったけど、今になってみれば撮らせてもらえてよかったです。それにしても最後に息子さんと乗れたのは良かったっすね。彼にもいい思い出になると嬉しいね。
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模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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