EF58 44牽引の客車
別にこれという写真はなく、荷物列車以外、という以上の意味はないのですが、これは、

父の写真で、多分82年、「明星」か「あかつき」か知りませんが、20系になる前の季節臨。14系ハザ10Bとか12Bとかってのがフツーでした。20系になると同時にゴハチが牽かなくなるとは皮肉なもんです。
これはただの回5006レ。つるぎ回送。もうブルトレそのものですけど。

これにマーク付けて走ったらサイコー!やったはずですが、誰もやりませんでしたね。
4804レ、「ちくま」。

大阪6:42だったと思うので、摂津富田にビチビチに陽が当たるのは夏だけですね。
83年10月9日、8115レ、「銀河51号」。

そう、いつも東京区のカマが牽いてくるとは限りませんでした。
最後は84年1月7日の回5006レ。

44は大窓ヒサシ付の青大将だったとは思えないほど豹変してしまっていますね。それでも若番だし、PS14に関西では珍しい汽笛カバー付きと、それなりに見どころのあるカマだったはずですが、まるで不人気でした。下関の後に竜華に転属したんでしたね。

父の写真で、多分82年、「明星」か「あかつき」か知りませんが、20系になる前の季節臨。14系ハザ10Bとか12Bとかってのがフツーでした。20系になると同時にゴハチが牽かなくなるとは皮肉なもんです。
これはただの回5006レ。つるぎ回送。もうブルトレそのものですけど。

これにマーク付けて走ったらサイコー!やったはずですが、誰もやりませんでしたね。
4804レ、「ちくま」。

大阪6:42だったと思うので、摂津富田にビチビチに陽が当たるのは夏だけですね。
83年10月9日、8115レ、「銀河51号」。

そう、いつも東京区のカマが牽いてくるとは限りませんでした。
最後は84年1月7日の回5006レ。

44は大窓ヒサシ付の青大将だったとは思えないほど豹変してしまっていますね。それでも若番だし、PS14に関西では珍しい汽笛カバー付きと、それなりに見どころのあるカマだったはずですが、まるで不人気でした。下関の後に竜華に転属したんでしたね。

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