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特急電車 485系 「白鳥」

ブルトレ同様、「白鳥」もお空へ飛んで行ってしまいました。
485hakucho.jpg
そらそうやろ、いまどき誰も12時間か13時間か知らんけど、丸々一日費やして大阪から青森行きませんわなぁ。ちゅうか利用者の多くが区間利用だったのは明らかで、だったらなんでこんな走らせ方してるんですか、っちゅう話で。2001年廃止だそうです。もう随分経つのね。

そして例によって、ググって今知ったんですが、同じ名前で東北-函館を走ってるんですって?! 皆さん知ってましたぁ??

写真は比較的原形を保ってるボンネットですが、ワタシにとって「白鳥」は200番台の貫通型もしくは300番台の非貫通のイメージです。特急が絵入りマークになったのは78年、小学校2年生の時で、その直後が特急・ブルトレブームやと思いますが、当時から長い間(4つ目の1500番台なんかもありましたけど)「白鳥」=貫通/非貫通で、ボンネットはあり得なかったんですよねー。で85年に青森から向日町に受け持ち区が変わって、以降このボンネット「白鳥」がフツーに見られるようになった、っちゅう話です。

小・中学生時代、デンシャのことしか考えてなかった頃(今でもあまり変わらんが・・・・)の刷り込みというのはよっぽど強いものらしく、こうやってボンネットの「白鳥」も眺めても、ピンとこないっちゅうか、あまりカッコエエと思わんのは不思議なもんです・・・・。

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「白鳥」というと

 確かに「白鳥」というと青森運転所受け持ちの期間が長く、RPの485系特集でも「「白鳥」というと200番台のイメージが強い」と記載があったのを覚えています。私も絵入りヘッドマークの時代になってからのイメージが強く、47-10改正の電車化から53-10改正までのグリーン車2両連結時代よりも、東北特急と同じ12両編成のほうがなじみです。
 時代は下ってJRの上沼垂電車区時代ですが、上り「はまなす」に青森で接続しており、同じく青森接続の「はつかり2号」とともに何度か見ています。また、青春18きっぷで東北を移動している時、確か大館で「白鳥」を見ており、200番台の上沼垂色を見ました。
 さらに時代が下ってまた向日町の485系に変わりましたが、向日町のボンネット車はほとんどが「ゆうとピア和倉」連結名残で前頭部連結器をむき出しにしてスカートを大きく切り欠いており、屋根上のヘッドライトもカバーが無くなっていました。確か1両か2両、「ゆうとピア和倉」連結時に金沢に転属していたために原型を強く残していた車がいました。
 最後の485系「白鳥」ですが、KATOが新規に485系「雷鳥」を発売した時に9両編成+増結ユニットを製作しました。前頭部はスカートを切り欠いた上で113系先頭車のダミーカプラーを組み合わせて連結器むき出しに加工しました。このため、厳密には連結器胴受の形態が異なっています(現車は弓形)。また、屋根上のライトは485系300番台のライトを使ってカバーのない形態にしました(以前に「あずさ」のクハ183形150番台を製作したときにはずした屋根上のライトを転用)。
 おまけですが、特急形電車が屋根の銀色塗装を止めたのは53-10改正の頃らしいです。

原口さん、
やっぱり200番台のイメージが強いって方は少なくないんですね。話が少しズレますが、白鳥の絵入りマークは、ブルトレに通じるシンプルで力強い、いいマークだったと思います。
「はまなす」接続のお話で気付かされたのですが、本来の使命は「日本海」同様、連絡船時代から一貫して、関西から北海道へ向かう足、なんですよね。空の移動が当たり前になった今、やはりブルトレと同じで、役目を終えた、ということなのでしょう。
ところで、原口コレクションの特急型電車の話は初めて聞きましたねえ(笑)。やっぱり細部まで拘ってあれこれ手を加えるあたりが原口さんらしいなと思いました。末期の連結器むき出し、ライトカバー無しは、どうも好きになれませんが。ワタシなら「白鳥」は、やっぱり200番台かなぁ!
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18201

Author:18201
模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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