EF65 518 ナノ座

東海道のゴハチが定期仕業から退き、東京に61・93・160、宮原に126・127・150が残るのみとなりました。団臨があると線路端に赴き、「ゴハチが牽いてこんかのう」という切実な思いで線路の先に目を凝らしたものです。

実際のところはゴハチが入るのを確認してから出掛けることが多く、調べずに出没すると、十中八九がPFだったわけですが、ごく稀に嬉しいサプライズもありました。
0650518_19840212_0034.jpgEF65 518[沼]+長ナノ座 1984.2.12
ピンボケ+ちょいブレでお粗末なもんですが。。。。

長ナノの81系座敷を追いやった12系お座敷ですが、客車としては例を見ないカラーリングで非常に人気がありましたね。

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ご無沙汰です。
お元気そうで何よりです。
EF65F型の長ナノ座なんてあったのですか!
しかも私が好きなヒサシ付で。
このEF65518号機ですが私が撮影した昭和61年10月には
ヒサシが撤去さてておりました。
なぜ撤去されたのか理由は定かじゃないのですが・・・

こんにちは。
この列車雪晴れの伊吹山バックで決めようと、近江長岡界隈で撮影してました。結果は・・・曇天、山見えず・・・

カマ横の看板に誰かの名前が!(笑)

デビュー当時のナノ座12系ですね、懐かしいです。初めて見た時は、あまりの斬新さに客車だと認識できませんでした。

当時、関東地区で牽引役によく使われたEF58との組み合わせは、正直「?」でしたけど(笑)。

EF65F形について

EF65F形ですか。連結器上の復心装置カバーとスカートの多くのジャンパ栓収めが特徴的です。
復心装置カバーは時期による変遷があって、最初はカバーが無かったのがカバー付きになり、カバーへの穴の開き方も複数種あるようです。
EF65F形は最初東海道筋の高速貨物用に登場し、復心装置も高速貨物牽引のための装備でしたが、EF66形の登場で上越線に転属し、上越線でもEF65形1000番台の登場で区間貨物に転用され、復心装置を使っていた期間は確か数年程度です。
ひさしは確か上越線時代の名残で清水トンネル等のツララ切りのためにつけられたものです。ひさし取り付けはF形の全機には及びませんでした。

山科のナツメグさん、
お久しぶりです。毎度記憶が曖昧ですが、この頃F型は吹二・米原→稲沢・沼津が大きな流れで、その中でも一部が沼津から稲沢に行ったり、沼津から高崎へ流れたり、などで、結構複雑な出入りがあったように記憶しています。そんな中で客レを牽いて関西に現れるのはやっぱり珍しかったですよね。ヒサシが外されたカマが居たのは初めて知りました。。。。

Benkeiさん、
おっと、ゴハチでもないのに気合い入ってたんっすね! 曇天でも近江長岡の写真、見てみたいな。

七久保さん、
ナノ座のカラーはちょっとした衝撃でしたよね。JTがチョロチョロ出たしたばかりの頃で、当局としてはかなり勇気のある決断だったのでは。ワタシはゴハチとの組合せを嬉々として撮りに出掛けたクチです(笑)。

原口さん、
Fのゴチャゴチャしたスカートが何用かあまりよくわかってない人の一人です。なるほど当初の目的で使われた期間はそんなに短かったのですね。EF81同様、ヒサシの有無はかなり見た目を左右するのですが、ワタシももちろんヒサシ付きひいきでした。518から522、526の6両でしたっけかね。

推測で申し訳ないのですが、F型のヒサシは溶接による固定だろうし、グラインダーで削り落したのでしょうか?わざわざ、そんな面倒な撤去工事をするんですから、腐食が著しいとか何かの理由でしょうね。

山科のナツメグさん、
なかなか鋭い指摘ですね。言われてみると、もともと付いてたヒサシを撤去したのは珍しいというか、あまり例が無いような気がします。延々グラインダで削るのは気が遠くなるような作業なので、バーナーぐらい使ったのでは、と推測するのですが、理由も水が溜まって腐食が進行した、ぐらいしか思いつかないですね。
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模型は旧国、撮りは蒸機がサイコーとひとりごちる40歳。子供の服買うかみさんに渋い顔しつつ、いつ作るとも知れぬキットを増やし続ける二児の父。工作スピードが遅いのが自慢。 

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